イノベーション(innovation)を定義したのはオーストリア出身の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターである。シュンペーターは新しい結びつきによって技術革新、生産革命が起きるとの概念を提示した。すなわち新結合(neue kombination)こそがイノベーションのベーシックス(母胎)というわけだ。

 

 たとえばスマートフォン。これは通信技術とデジタル技術の結合である。回転寿司は握り寿司とベルトコンベアの組み合わせである。まさにコロンブスの卵。その手があったよね。ちょっとした遊び心や意外な切り口からイノベーションは生じるのである。

 

 逆に言えば、固定観念に染まっていたり、既得権益を守るのに汲々としている側からは、新しいものは何も生まれない。米国において輸送業の王者だった馬車の事業者は最後まで鉄道事業に反対した。権益を守るためだ。晴れて新王者となった鉄道事業者は、やがてチャレンジ精神を失い自動車の普及を恐れた。そして今自動会社はIT企業の攻勢にさらされている。持たざる者が持つ者を凌駕するのが世の理(ことわり)だ。

 

 決勝トーナメント進出に王手をかけた日本代表監督・西野朗には二つの貌がある。ひとつはリアリスト、もうひとつはロマンチスト。アトランタ五輪のブラジル戦では将棋でいうところの穴熊のような戦法が的中し、大金星を得た。一方、Jリーグにおいては「2点とったら守れ、ではなく3点とれ、というのが僕のサッカー」と公言し、ガンバ大阪にいくつものタイトルをもたらした。

 

 ロシアでの西野は、そのどちらでもない。あえて言うならプラグマティスト。実用主義、実際主義に徹し、立ち位置や立ち居振る舞いなど一切気にしていないように見える。余裕がないのではない。余計と余分がないのだ。

 

 セネガル戦では後半27分に本田圭佑を、その3分後に岡崎慎司を投入した。この2人で同点に追いついた。その手があったよね。新結合ならぬ旧結合(alt kombination)である。日本人には“片隅の2人”に映るが、セネガルからすれば“お初の相手”である。

 

 どう使えば2人は生きるか、その一点の是非のみに集中し逡巡も妥協もしない。晴天の霹靂のようなかたちで就任した63歳には失うものも守るものもない。持たざる者の強みが采配に凄みを与えている。

 

<この原稿は18年6月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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