ハンス・オフトとロベルト・ファルカン。どちらが日本代表にとって優秀な監督だったか、人によって答えは分かれるだろう。けれども、どちらが結果を残したかといえば、これはもう、間違いなくオフトである。
現役時代の実績はほとんどなく、指向するサッカーのスタイルも保守的で、ユース世代の指導を踏襲したオフトに対し、ファルカンは世界のスーパースターとして君臨し、かつ、ブラジル代表で、セリエAで、世界トップクラスの指導者とも接している。にもかかわらず、なぜファルカンの日本代表はさっぱりだったのか。
その答えが、いまになってわかった気がした。
19年7月からタイ代表の指揮をとっていた西野監督が解任されたという。最終予選進出がならなかったばかりか、東南アジアのライバル、ベトナムやマレーシアの後塵を拝してしまったのだからやむをえまい。東南アジアサッカー選手権、通称スズキ・カップで最多の優勝回数を誇り、東南アジアの雄を自任していたタイ国民からすると、西野監督の招聘は大失敗だったということになろう。
どれほど優秀な監督が指揮をとっていたとしても、現在のタイをW杯本大会に導くのは簡単なことではない。ただ、2次予選での惨敗はわたしにとっても意外だった。幾人かの主力の不参加があったとはいえ、タイには興味深い才能が存在し、かつ、大事なところでの勝負運を持っているという印象を、西野監督に対して抱いていたからである。
なぜ西野監督は、タイのオフトになれなかったのか。オフトに優る国際大会での経験を持ち、オフトにはない勝負強さを持ちながら、なぜファルカンのように期待外れに終わってしまったのか。
その国に対する理解度が原因ではなかったか。
日本代表に就任する以前、オフトはヤマハとマツダで5年以上、日本人を指導経験があった。当時2部だった2つのチームで、彼は超一流ではない、標準的日本人選手の感覚や考え方に触れていた。
W杯に出場したことのなかった当時の日本には、当たり前のようにW杯に出場している国の人間には理解しがたい劣等感や諦めがあり、そこを壊していくには、その国民にあったやり方が必要だった。オフトはそれを知っていて、ファルカンは知らなかった。
ひとたびガラスの天井を破ってしまえば、求められるのは国民性への理解というより、指導の質ということになってくる。日本人に寄せるのではなく、フランス人気質をむき出しにしたトルシエが曲がりなりにも結果を残せたのは、W杯フランス大会以前と以後で、日本人サッカー選手のメンタリティーが大きく変わっていたから、なのかもしれない。
報道によれば、現在、タイ協会と西野氏は連絡が取れない状態だという。事実であれば、両者の間には以前から確執めいたものがあったとも取れる。思えば、ファルカンのときも最後はゴタゴタがあった。
W杯出場というガラスの天井は打ち砕いた日本だが、W杯優勝と聞けば、まだ腰砕けになってしまう部分がある。次なるガラスの天井が存在する以上、タイにおける西野監督の挑戦と挫折から学ぶべきことは多い。少なくとも、これからの日本代表監督に求められる条件は、見えた気がする。
<この原稿は21年7月1日付「スポーツニッポン」に掲載されています>
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