アトランタ五輪を題材にした初めての単行本を書いた当時31歳のわたしにとって、メキシコ五輪は歴史上の出来事でしかなかった。第2次大戦や関東大震災のように、知っていても自分との直接的な関係は感じることのできない事象だった。
なので、Jリーグの開幕から29年が経ったと聞くと、唖然とする自分がいる。若い頃は謎だった「なぜおじさんは昔話をしたがるのか」、その理由がいまなら腑に落ちる。56歳のわたしにとって、29年前は「ついこの間」でしかないのだ。
Jリーグが発足したことで、代表戦すら放映されないこともあった日本サッカーを取り巻く環境は激変した。NHKはもちろん、民放各社もこぞってJリーグを中継するようになった。
テレビでサッカーが見られるのはもちろん嬉しい。だが、辟易したこともあって、それはオフサイドになるたび、アナウンサーがルールの説明を始めることだった。「そんなのわかっとるわ」と憤慨したのも一度や二度ではない。
令和4年のいま、テレビ中継を見て憤慨をすることはほぼなくなった。最先端の戦術解説やサッカー用語も当たり前のように飛び交っている。それがわたしには抜群に心地よい。
だが、ちょっと待て、それでいいのか?
わたしは昔からのマニアだった。だから、初心者向けの実況に苛立った。では、当時のわたしがサッカーに関心のない人間だったら?
オフサイドについての解説は、絶対に必要だった。
あくまで個人的な印象なのだが、02年のW杯日韓大会前後まで、サッカーを伝える側の意識は「新たなファンを獲得する」ことに向けられていたように思う。ライトな層が理解できないような専門用語はまず使われなかったし、仮に使われたとしても、相当に丁寧な追加解説があった。
いまは、違う。自戒も込めていうが、Jリーグが発足した当時に比べると、サッカーを伝える側の意識は、明らかにマニア寄りになっている。サッカーに精通した層に向けた情報発信が主流になりつつある。
ちょうどJリーグが発足したころ、来日していた独キッカー誌の元編集長とお酒を飲む機会があった。サッカーについて書くためには、戦術のことを勉強するべきなのか。わたしがそう聞くと、マーティン・ヘーゲレさんは笑った。
「君はコーチのための記事を書きたいのか? それとも、コーチになりたいのか?」
自分にとって大事なのは、試合を見てどう感じたのか、であって、どんなシステムだったかではない、ともヘーゲレさんは言った。わたしにとっては、その後の方向性を決定づけてくれた至言だった。
いま、日本では若者のサッカー離れが危惧されるようになったが、ドイツもそうだ、という話は聞いたことがない。つまり、ドイツでは依然として新たなファンが加わり続けている、ということになる。
振り返ってみれば、オフサイドの解説に憤慨していたわたしは、だから見るのをやめよう、などとは一度も思わなかった。マニアは、放っておいても見てくれる。
ならば自分も含め、伝える側にある人間が、意識の片隅にでも初めてサッカーを見る人、読む人のことを置くようになれば、現状は少し変えられるのではないか。そんなことを思う、30年目のJリーグである。
<この原稿は22年5月19日付「スポーツニッポン」に掲載されています>
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