プロ野球は交流戦が終わり、シーズンも折り返しが近づいてきました。セ・リーグの首位を独走しているのが、東京ヤクルト。6月24日時点で、2位・巨人と11ゲーム差をつけています。目下セ・リーグの打撃2冠(本塁打・打点)で、交流戦MVPにも輝いた4番の村上宗隆は、ますます手に負えなくなってきましたね。

 

 さらに、ピッチャーの大記録達成もありました。7日には横浜DeNAの今永昇太(対北海道日本ハム戦)が、18日にはオリックスの山本由伸(対埼玉西武戦)が、ノーヒットノーランを達成。千葉ロッテ・佐々木朗希(完全試合)、福岡ソフトバンク・東浜巨に続く、快挙達成の理由にも迫ってみたいと思います。

 

 それでは、今月も私の球論にお付き合いください。

 

「1番投手・大谷」の衝撃

 凄まじい22歳の活躍ぶりです。千賀滉大(ソフトバンク)ら、パ・リーグの好投手たちを打ち崩した交流戦の勢いそのまま、リーグ戦再開後も好調を維持しているヤクルト・村上。19日、本拠地・広島戦で2打席連続ホームランを放つと、4日後の敵地・中日戦でも満塁を含む2本のホームランを打ちました。

 

 やはり村上の最大の強みは、センターやレフトといった反対方向へ大きな打球を打てることです。引っ張るだけでは打てるボールも限られますが、村上はミートポイントをいくつも持っている。それもヒットにするだけならまだ分かるのですが、パワーもあるのでスタンドまで打球を運んでしまう。これはピッチャーからすれば厄介ですよ。

 

 その村上の活躍もあり、ヤクルトはペナントレースで大きくリードしていますが、油断は禁物です。2016年、私が3軍のコーチを務めていたソフトバンクは、4月にパ・リーグの首位に浮上すると、交流戦も優勝。2位以下とのゲーム差を徐々に広げていき、リーグ3連覇は間違いないかと思われました。

 

 潮目が変わったのは、7月3日、本拠地での日本ハム戦です。日本ハムのスタメンには、「1番投手・大谷」の文字。見た瞬間、「なんや、これ?」と思いました。衝撃は続きます。初回、バッターボックスに立った大谷翔平は、ソフトバンク先発の中田賢一が投じた初球のカーブを完璧に捉え、ライトへ先頭打者ホームランを打ってしまったのです。

 

 大谷は投げても8回無失点の好投で、2対0での勝利の立役者になりました。日本ハムは、これで勢いづかないわけがありません。ソフトバンクは最大11.5ゲームあった差を逆転され、優勝を逃してしまいました。今やメジャーリーグでも見慣れた大谷の「1番投手」起用。それを早くも6年前に、批判を恐れず実行した栗山英樹監督の信念が呼んだ大逆転優勝でした。

 

オリックス山本のカーブ

 今シーズンのプロ野球でも、驚きの現象が起きています。前半戦終了を待たずして、ノーヒットノーラン達成者がすでに4人。「投高打低」の傾向が著しくなっています。ひと昔前までであれば、ピッチャーがどれほど速いボールを投げようと、バッターはひとりバッティングマシンに向き合い、球速に慣れることができました。

 

 ただ、最近のピッチャーはその域を超えています。ストレートだけなら対応できるかもしれませんが、変化球の精度も高いのでバッターはなかなか攻略できない。ノーヒットノーランを達成した4人のピッチングを見ていても、バッティングカウントでは当然ストレートを投げず、変化球できっちりカウントを整えています。

 

 さらに、山本が達成した時は、フォークをファールされる場面が何度かあり、相手にクセを見抜かれているのでは、と心配しました。しかし、山本はそういう時、緩いカーブで打ち取ったりしていましたね。普通なら緩いカーブは、初球にカウントを稼ぐためフッと放ったりするものですよ。それを2ストライクから投げてバッターを抑えられるのは、絶対に高めに抜けることなく、しっかり低めにコントロールできるという、自信と技術があるからなんです。

 

アウトなら“準完全”

 ノーヒットノーランと言えば、楽天の守備走塁コーチをしていた12年5月30日、敵地での巨人戦で、チームは相手先発の杉内俊哉に9回2死までパーフェクトに抑えられていました。そこでバッターボックスに立ったのは、“シャーパー”こと中島俊哉でした。ちなみに、シャープにスイングするから“シャーパー”です(笑)。

 

 息詰まる場面、フルカウントから内角低めのストレートを見極めた中島は、完全試合を阻止するフォアボールをもぎ取りました。1塁のランナーコーチだった私は、1塁ベースまでやって来た中島に言いました。「シャーパー走れ」。何も無茶を言ってるわけではありません。巨人のファーストのジョン・ボウカーは、ヒットを防ぐためにベースを外して守っていたので牽制はない。それにこの場面で盗塁すれば、杉内だって動揺するでしょう。

 

「シャーパー行け!もう牽制はないから、(杉内が)足上げたら行け!」

「えぇ!行くんですか!?」

「行けよ!行けるから!その代わりアウトになったら試合終了やで……」

 

 お互いに、もし失敗した場合の星野仙一監督の“カミナリ”が脳裏をよぎっていましたね(笑)。結局、中島が走ることはなく、次の打者を抑えた杉内にノーヒットノーランを達成されてしまいました。ただ、朝ドラ風に言えば、「ちむどんどん(心がわくわく、ドキドキする)」した思い出深いシーンでしたね。

 

 話が少し逸れましたが、今季のノーヒッター続出の流れはまだまだ続きそうです。その際はピッチャーだけでなく、守っている野手やベンチの動きにも注目してみると面白いですよ。それではまた来月、お目にかかりましょう。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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