開幕から、いまひとつ打撃が良くなかったメジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平ですが、少しずつ本来の姿が戻ってきましたね。14日(現地時間)のアスレチックス戦ではイチロー、松井秀喜を超える日本人最速でのメジャー通算100号を達成。やっぱり大谷が活躍した日は、朝から気持ちがウキウキします。

 

 もちろんプロ野球も負けじと盛り上がっています。パ・リーグは4月16日から首位の東北楽天を、2位の福岡ソフトバンクが1.5ゲーム差で猛追中。24日からは交流戦も始まり、ますますペナントレースから目が離せなくなりそうです。それでは、今月も私の球論にお付き合いください。

 

フリー打撃は「観兵式」

 メジャー通算100号のメモリアルアーチは、センター左方向への弾丸ライナー。これぞ大谷、というようなバッティングで決めてくれましたね。今季はここまで強引にバットを振っている場面が多くありましたが、だいぶ力みが無くなってきました。今回のように、打球がセンターからレフト方向に飛ぶようになってくれば、さらに本塁打の数も増えてくると思います。

 

 ア・リーグMVPに選ばれた昨季は46本塁打。ただ、今季はピッチングがいいですからね。気が早いですが、投手で10勝、打者で30本塁打なら、2年連続のMVPじゃないでしょうか。さらに言えば今季、エンゼルスは優勝しますよ。現時点ではア・リーグ西地区の2位ですけど、ノーヒットノーランや最終回での逆転劇など印象的な勝ち方が多い。こういう勝利の積み重ねが、得てして優勝に直結するんです。

 

 今回、大谷が459試合で達成するまで最速だったのが松井(636試合)。大谷と違って、松井の場合はライト方向への打球が多かったですね。「ベーブ・ルースが建てた家」とも呼ばれた旧ヤンキースタジアムは、ルースがホームランを打ちやすいようにライトが狭かったので、それも追い風になってましたね。

 

 松井とは、私が巨人の守備走塁コーチに就任した2002年に1シーズンだけ同じユニホームを着ましたけど、もうフリーバッティングから見事でしたよ。松井が打ち出すと、打球がミサイルみたいにスタンドに突き刺さるものだから、まわりが「観兵(かんぺい)式だ!」って。また、ある試合では3番の高橋由伸が1塁に出たんですが、リードがえらく小さい。それで思わず本人に指摘したら、「すみません、松井さんの打球が怖くて……」って(笑)。さすがにもう少し大きいリードにさせましたが、由伸の気持ちもよく分かりましたよ。

 

豪華すぎる2軍ローテ

 続いてプロ野球の話題もひとつ。現在パ・リーグ首位の楽天は、43試合を消化し、失策数が何とまだ1ケタ。まして本拠地は打球処理が難しい天然芝の楽天生命パーク宮城です。楽天の内野守備走塁コーチを務めているのは、私も西武コーチ時代に指導したことがある奈良原浩。とにかく足を使って打球に対していいポジションに入り、スローイングにつなげる守備が印象的でした。こうしたプレーをきっと楽天の選手にも徹底させているんだと思います。

 

 さらに楽天の失策の少なさには、投手陣の顔ぶれも影響しているのではないかと思います。だって田中将大がいて則本昂大、岸孝之、涌井秀章ですよ。これだけ実績のあるピッチャーが投げていたら、しょうもないプレーなんてできませんから、必死こいて守りますよ。特に昨季、田中が投げている時なんて全然点を取れなかったわけですから、より一層緊張感をもっているはずです。とにかく守備の堅さといい、ここまで楽天はいい感じに戦っていますね。

 

 ただ、現在2位のソフトバンクも食らい付いていくと思います。ソフトバンクといえば、私が15年に楽天から移ってきた時の2軍のローテーションが、千賀滉大、東浜巨、石川柊太……。今や球界を代表する好投手がズラリ。「いやいや、ちょっと待て、楽天の1軍ローテーションよりええやん!」となったことを覚えています(笑)。

 

 やっぱりソフトバンクの強さの秘訣は、組織力です。優勝すると、1軍のメンバーだけでなく2軍、3軍の監督・コーチからブルペンキャッチャー、バッティングピッチャーといった裏方さん、みんなで優勝旅行に行きますからね。すると、夏くらいになると2軍、3軍の裏方さんの奥さんが、「アナタ、今年もハワイ楽しみにしてるから頑張ってね」って言うんです(笑)。そこで生まれるチーム力っていうのは凄く大きいと思いますね。

 

 皆さんもぜひ、選手や監督だけでなく、彼らを支える裏方さんの仕事にも注目してみてください。それではまた来月、お目にかかりましょう。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


◎バックナンバーはこちらから