全国各地で猛暑日が観測され、夏真っ盛りとなっていますが、高校野球も、プロ野球も暑さに負けず頑張っています。ただ、今年も厄介なのは「暑さ」より「コロナ」かもしれません。プロ野球では、セ・リーグの首位を独走している東京ヤクルトに続き、巨人でも集団感染が発生。公式戦中止の措置も取られるなど、球界全体がコロナに翻弄されています。

 

 ただ、シーズンが続く以上は、感染者が出たチームも現有戦力で戦わなければなりません。だからこそ、主力の離脱によって1軍での出場機会を得た選手たちには、ぜひ首脳陣へのアピールとなる活躍を見せてもらいたいものです。特にセ・リーグは、2位以下が首位に大きく引き離されているわけですから、どうか反撃のきっかけを掴んでほしいですよね。

 

 それでは、今月も私の球論にお付き合いください。

 

投手と打者の中間地点

 集団感染の影響を受けながらも、ヤクルトが2位の阪神と広島に11ゲーム差をつけたまま前半戦が終了したセ・リーグですが、2位以下は目まぐるしく順位が変動しています。その中で、私がシーズン前から注目していた横浜DeNAが調子を上げてきました。7月14日の広島戦から4連勝を飾るなど、2位と1.5ゲーム差の4位でシーズンを折り返しました。

 

 好調の要因は、大卒2年目の牧秀悟、同じく3年目の蝦名達夫といった若手が活躍していること。さらに、今季からコーチとしてチームに復帰した、石井琢朗や鈴木尚典らの存在も大きいと思います。彼らは横浜が1998年にリーグ優勝、日本一を達成した時の中心選手でしたからね。そこでの成功体験を伝えることで、選手のやる気を引き出しているはずです。

 

 98年の横浜と言えば、何と言っても「マシンガン打線」です。石井や鈴木の他にも、ロバート・ローズ、駒田徳広、谷繁元信といった好打者が、スタメンに名を連ねていましたね。私が守備走塁コーチを務めていた西武は、日本シリーズでその横浜と対戦し、2勝4敗で敗れてしまいました。

 

 ただ、私が現役時代、中日から復帰した90年の西武も「マシンガン打線」に勝るとも劣らない打線でした。1番の辻発彦さんに始まり、2番平野謙さん、3番秋山幸二、4番清原和博、5番オレステス・デストラーデ、6番石毛宏典さん、7番は右投手なら安部理で、左なら笘篠誠司、そして8番伊東勤、9番田辺徳雄というラインナップ。打撃もさることながら、チーム盗塁数もリーグトップの175を数えるなど、総合的にレベルの高い打線でした。

 

 そうしたチームの中で、レギュラー奪取は無理でも、いつでも彼らの代役が務められるよう、私も常に準備をしていました。ベンチで行っていたピッチャーの観察もその一つです。ちょうど投手と打者の中間地点を見つめていると、両者の姿を左右それぞれの目で捉えられ、ボールに対してタイミングを取っている打者との間合いがよく分かるんです。

 

 ある試合では、相手の先発との間合いが抜群に良かった清原が、第1打席でホームランを打ちました。そこで、ベンチに帰ってきた清原に、「キヨ、ナイスバッティング! 今日はもう1本いけるな」と声をかけると、案の定、その後の打席でもホームランを打ったのです。すると清原は試合後、グラウンドから引き揚げている時に「康友さん、なんで分かったんですか?」と、目を丸くして訊いてきましたよ(笑)。

 

「まっすぐ書けよ!」

 話を今シーズンに戻すと、混戦のパ・リーグは、福岡ソフトバンクが首位に立っています。チームを引っ張っているのが、今年オールスターに初選出された牧原大成。彼は、私がソフトバンクの2軍、3軍コーチを務めていた14~16年に指導した選手なのですが、当時から172センチの小さい体でよく打っていました。ただ、バッティングにまだ粗さがあり、三振などもよくしていたんです。しかし、今季は選球眼も良くなり、狙い球を絞ることで、1軍でも3割近い打率を残せていますよね。

 

 7月17日、ZOZOマリンでの千葉ロッテ戦で延長10回に決勝打を放ったのは、24歳の川瀬晃でした。彼は15年にドラフト6位で、高校からソフトバンクに入団したのですが、始めから守備は上手でしたね。こちらも体は細くて小さかったのですが、肩も強かったので、いずれ必ず1軍に行くな、と思いながら指導していました。その後、体幹を鍛えたことで、バッティングの方でも力強さが出てきましたね。

 

 さらに言えば、川瀬は大分出身の選手なのですが、久留米出身の牧原大と同じく、少しヤンチャなところがありました。性格も明るくて、まさに“九州男児”という感じ。今の彼らの活躍を見ていると、そういう前向きな選手は特に立派に成長していると感じますし、雄大な九州という風土もまた、若い選手を育成するのに適した環境なのかなと思います。

 

 ちなみに15年のドラフトでは、川瀬以外にも茶谷健太、黒瀬健太といった高卒の内野手が入ってきました。それで3軍のコーチとして、私が彼ら3人と最初に始めたのが“交換日記”。「まずお前ら、ノート買ってこい」と言って、買ってこさせて、「1日の終わりに、どんな内容でも1行でもいいから、練習で感じたことを書きなさい」と“宿題”を与えました。

 

 そして翌日、球場に行くと、指定した箱にきちんとノートが入れてありました。ただ、回収して中身を見ると、「何だコレは?」と衝撃を受けました。平仮名ばかりで、漢字は間違っている……。何より「まっすぐ書けよ!」と(笑)。なので彼らに伝えました、「年上にレポート出すのに、これではダメだよ。社会に出て恥かくよ」。私は私で赤ペンを使って添削し、「大変よくできました」という判子も買って、学校の先生みたいなことをやりましたね(笑)。

 

 何はともあれ、そうした教え子の活躍は嬉しいものですよ。後半戦は、オールスターをはさみ29日から始まるわけですが、コロナの影響が最小限にとどまることを祈りつつ、ぜひ見応えのあるプレーを期待したいですね。それでは、また来月お目にかかりましょう。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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