26年のW杯本大会出場国が48カ国になること、そのうちアジア枠が最大9枠に増えることは、5年前の段階で決まっていた。

 

 あのときも、多かったのは批判的な声だった。FIFAの行き過ぎた商業主義。本大会のレベル低下と選手の負担増加。アジア予選の魅力とスリルが激減することを嘆く声もあった。

 

 わたし自身、こんなにも拡大してしまって大丈夫なのか、という思いがないわけではない。我がアイドル、マリオ・ケンペスが紙吹雪の中を駆け抜けた78年W杯の出場国は16だった。半世紀を経て、W杯は3倍の規模にまで膨れ上がった。

 

 ただ、一概に否定する気にもなれないのは、サッカーが隆盛を誇るようになった大きな要因の一つが、規模の拡大にあったから、である。

 

 各国リーグの王者と、前回大会覇者にしか出場が許されなかった欧州チャンピオンズ杯が、現行のシステム、つまり各国リーグの上位チームに出場が認められる形式に移行した際にも、批判的な声があった。「王者でないものに出場が許されることで、大会の権威とレベルが損なわれる」というわけである。

 

 結果は、ご存じの通り。チャンピオンズリーグとなったことで、欧州サッカーの優位性は揺るぎないものとなり、かつ、全世界から注目されるようにもなった。選手の負担が増加したという面はありつつも、圧倒的にポジティブな化学反応を引き起こしたともいえる。

 

 10チームで発足したJリーグが拡大していく際も、レベルの低下を懸念する専門家は少なくなかった。それが間違いだった、というつもりはない。実際、およそプロとは言い難い試合が増えてしまった時期はあった。

 

 だが、そうしたマイナスを差し引いても、Jリーグが拡大路線を取ったことは正しかったとわたしは思う。環境は、選手の成長を促す。曲がりなりにもプロを名乗り、ファンからの厳しい視線にさらされることで、それまでとはまるで違った成長曲線を描く者が現れる。20年前、地域リーグでプレーする選手が日本代表に入る可能性はゼロだったが、いまは、J3から日本代表に上り詰めた者もいる。

 

 なので、一時的にW杯本大会のレベルが落ち、また、アジア予選が退屈なものになったとしても、いつまでも続くものではない、とわたしは思う。

 

 そもそも、日本がW杯本大会の常連たりえるようになったのも、FIFAがアジア枠を拡大してくれたから、だった。出場国が16の時も、24の時も、日本は本大会に届かなかった。初めて、そして辛うじて届いたフランス大会は、本大会出場国が32に拡大された最初の大会だった。

 

 アジア枠が0ないし1だった時代、日本人はW杯出場をハナからあきらめていた。出場するために頑張るという発想自体がなかった。だが、自分たちでもW杯にいけるかもしれない時代が到来すると、日本は激変した。同じことがベトナムに、タイに、インドネシアに、インドに起きないと、誰が言い切れるだろうか。

 

 W杯を現実的な目標とした国は、次に選手たちを高いレベルでプレーさせようと考える。現状、東南アジアの選手が欧州でプレーするのは簡単なことではない。となれば、Jリーグが彼らにとっての目指すべきショーウインドーにもなる。W杯の規模拡大は、だから、悪いことばかりではない。

 

<この原稿は22年8月4日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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