今回はちょっと自信なさげに書きます(笑)。

 

 殺人。近代社会における絶対悪。明治だろうが大正だろうが昭和だろうが平成だろうが、断じて許されることではありません。なので、令和の世を生きるわたしたちが明治や大正の殺人犯を批判するのは、間違ったことではない、はず。

 

 愛人。いまなら結構な問題になります。ヒトによっては積み上げてきたものをすべて失う可能性もありますが、明治の時代は違いました(よね?)。昨年の大河ドラマの主人公として取り上げられた方も、相当にお盛んだったようで。では、令和の感覚で彼を罵倒するのは正当な行為なのか。進歩的な皆さんすみません、わたしはちょっと抵抗があります。

 

 校則。くだらないものもたくさんあるようです。髪の毛が長いとか、下着の色とか。入学したからには従うべきだ、という意見もあるでしょうが、ならば、明らかに時代錯誤な校則にも、生徒たちは従順にしたがっていかなければならないのでしょうか。そして、校則を変える、動かすのは誰なのでしょうか。

 

 浦和レッズの声出し問題。Jリーグが決めたルールを一部のサポーターが破った。だからリーグとしてチームにペナルティーを科す(ことにおわせる)。なるほど。ただ、そこでわたしが思うのは、声を出すという行為は、絶対悪なのか、時代によっては悪か、それとも、校則を破る的な悪なのか、ということ。

 

 暴行や乱闘。これはもう、全世界を問わずサッカーにおける絶対悪。チームが責任を問われるのは当たり前。85年、リバプールのファンがヘイゼルでやらかした暴挙のせいで、リバプールのみならず、全イングランドのチームが欧州から締め出されたこともありました。

 

 令和4年現在、いわゆる“ヘイゼルの悲劇”は依然として許されざる事件として記憶されています。たぶん、これは未来永劫変わることはない。ただ、声出しは、ちょっと違う気がするのです。

 

 レッズ・サポーターの圧倒的な声援は、日本サッカー界の宝だとわたしは思っています。それが、コロナ禍にあって、突然「いけないこと」になった。処罰の対象となってしまった。しかしながら、目を海外に向ければ多くのチームで許され、認められる。少しばかり反抗的な学生だった時期もあるわたしが熱狂的なレッズのファンだとしたら、かなりの確率で思うでしょう。

 

 そんなルール、クソ食らえ。

 

 一方で、処罰をチラつかせなければならなかったJリーグ側の事情もわかるのです。この国の人気スポーツがサッカーしかないのならばともかく、いまはプロ野球のファンも従来の応援を自粛しています(一部崩れかけているところもあるようですが)。ここで対応を間違えると、世間の怒りが一気にサッカーにむけられることも考えられる。だから、糞みたいなルール、頓珍漢な校則みたいな決まりだと自覚しつつも、罰をにおわせることで鎮静化を図るしかない(あくまでにおわせるだけ、とも推測します)。

 

 一部では、反発したレッズのサポーターが掲げた横断幕を問題視する声もあるようです。これには異論あり。校則を変えるのは、結局、生徒たちの声。だとしたら、ああやってファンが意思を表示することで、世論が動くこともある。横断幕は悪?わたしは、そうは思っていません(これだけはちょっと自信を持って)。

 

<この原稿は22年8月11日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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