仙台育英が夏の甲子園を制した。宮城の、東北の悲願がついに叶った。須江監督の優勝インタビューも印象的で、はや「青春って密」を流行語大賞に、なんて声もあるようだ。わかる。わたしもアレにはグッときた。

 

 今回の優勝によって、宮城の野球、東北の野球には何らかの変化が生まれることだろう。ひょっとしたら、野球以外、スポーツ以外のジャンルにも影響は及んでくるかもしれない。もちろん、良い影響が、である。

 

 東北地方との縁といえば、免許取得の際に山形で合宿したのと、今年の夏休みは岩手県の安比高原にいった、ぐらいしかないわたしである。だが、そんな人間が今回の快挙から自分なりの教訓を見出すとしたら「叶わない悲願はない」ということだろうか。

 

 考えてみれば、今の日本スポーツ界で当たり前のように起きていることの中には、わたしの若いころ、悲願にすらなっていないものもあった。サッカー日本代表がW杯に出る。テニスやゴルフのグランドスラムで日本人選手が優勝する。メジャーリーグで日本人選手が大活躍する。陸上の男子100メートルで9秒台を出す。どれもこれも、叶えよう、挑もうとした人たちは鼻で笑われたものだ。

 

 誰だって笑われたくはないし、笑われれば傷つきもする。ただ、だからといって挑むことをやめてしまえば、前進はしない。目標にも近づかない。東海大山形がPL学園に29点を奪われて敗れても、なお日本の頂点を目指す気持ちが東北から根絶やしにされなかったからこそ、令和4年のいまがある。

 

 そもそも「悲願」とはなんなのか。悲しい願い、ではない。多くの人が叶うこと、実現することを切望する願い、である。絶望的なまでに遠く、およそ届くはずがないと思われる目標に向かう人がまずいて、その思いに賛同する人が増えていって初めて生まれる願いである。

 

 考えてみれば、スポーツに限らず、日本人には実に多くの「悲願」を現実のものにしてきた。明治維新がなった時点で、この国が経済大国となることを予想した人がどれだけいたか。敗戦後、再び立ち上がることを思い描いた人は? ひょっとすると、日本人というのは「届きそうもないが、届いたら凄いことになる」的な目標を達成する能力に物凄く長けた民族なのかもしれない――なんてことを思った。

 

 そこで日本のサッカーに目を向けてみる。オフトが「わたしの仕事は日本をW杯に連れて行くことです」と言った時、わたしは嘲笑した。だが、ドーハで散ったことによって、笑い話だったW杯は国民的な悲願へと昇華し、そして、叶った。

 

 02年のW杯。日本にとってはまだ2度目のW杯。初出場は勝ち点1すらあげられなかった国の代表に、わたしたちは決勝トーナメント進出というノルマを突きつけた。いまから思えば無茶でしかない。でも、現場は見事に目標をクリアした。

 

 さて、カタールW杯を間近に控えたこの国にとっての「悲願」はなんだろうか。

 

 森保監督が掲げる「ベスト8」は、国民的な悲願たりえているだろうか。

 

 そうは、思わない。

 

 叶わない悲願はないかもしれないが、悲願と認められるレベルにならないと大きな願いは叶わない。要は、どれだけ日本代表の躍進を期待する声を高めていけるか。それが、今回に限らず、W杯を戦う上での大切な要素になりそうな気がする。

 

 いまもまだ、まるで足りない。

 

<この原稿は22年8月26日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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