両親から丈夫な身体をもらったことが自慢の一つでしたが、今年はいよいよ、メンテナンスを要することとなりました。年が明けてからあちらもこちらもと、故障のデパートになってきました。お盆休みは病院に通うことに……。

 

 何も気にせず、やりたいことをやるというわけにはいかなくなってきました。身体の様子を見ながらいたわって、付き合っていくことが必要。まさにメンテナンスを施す時期にきたのだと痛感した次第です。

 

 さて、2020東京パラリンピックが、2021年夏に開催されてちょうど1年が経ちました。

 様々な場面で、「パラスポーツに対する理解が広まった」「共生社会への歩みが始まっている」と見聞します。大変嬉しく思います。

 

 先日、東京パラリンピックを契機にリニューアルした、ある体育館におじゃましました。2021年度にメンテナンス計画も一新され、「去年までは車いす競技にも使用できたのですが、リニューアルしたので、今年から車いす競技にはお貸しできなくなったんですよ」とのこと。

 

 むむむ。床を張り替えた。年間のメンテナンス予算は一定額。したがって、損傷の恐れのある車いす競技は使用不可。う~ん、メンテナンスってなんだ?

 

 新品同様にピッカピカのままにしておくことがメンテナンスなのでしょうか。

“傷ついて、汗と涙がしみ込んでこその体育館のフロアなのでは?”と思う私は、考えが古いですか?

 

 あるプールでは、こんな話も。パラリンピック効果もあってか、知的障がいの子どもの来場が増えたと聞きます。しかし、知的障がいのある子どもを保護者が連れて行ったら、ずっと付き添っていることが使用する条件とのことで、やむなく諦めて帰ったそうです。

 

 体育館でもプールでも管理者は一様に「何かあったら」と口にします。

 何かって何でしょう? それに障がいの有無は、「何かあるかどうか」と関係ないのでは? どんな人だって、スポーツをしていたら「何か」は起こり得る。

 

 そこで一計。“何かあったとき募金”というものをつくってはどうでしょう。財源を調達して「基金」設立もいい。体育館やプールの運営者だけでなく、使用する人、さらには使用しない人からも広く募金する。運営者にとっては保険のような仕組み。その他の人にとっては寄附金。これを何かあったときの修繕費用に役立ててもらうのです。

 

 スポーツ施設はいろいろな人に使ってもらいたい。その結果「何か」があって、メンテナンスの予算がオーバーしたらその時は“何かあったとき募金”から回してもらえばいい。どうです? 妙案ではないでしょうか。

 

「何か」が起きないようにするのではなく、万が一「何か」が起きても「何とかしよう!」と気概を持って。希望する誰もが、伸び伸びとスポーツできる仕組みが「何より」大切なのです。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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