第144回 シリーズ再会。新潟県十日町市・関口芳平さん
先日、新潟県十日町市で東京2020パラリンピック車いすバスケットボール銀メダリストの宮島徹也さんをお招きして、トークショーと体験会を開催しました。今回は地元のNPO法人ネージュスポーツクラブさんと、ご一緒させていただきました。
当日朝、会場設営には、たくさんのボランティアの方たちが参加くださいました。でも、なんだか皆さん、自由に動いている感じ。よく見ると、遊んでいる人もいる。なんだか不思議な雰囲気です。
ネージュの事務局長・関口芳平さんがス~ッと私に近づいてきて、床を指さします。
「ほら、1分でボッチャコートができた。速いでしょ」
よく見ると、投球するラインと、センターの×印をラインテープで引いて簡易的なコートができています。
「ボッチャ、やる人~!」
ボッチャはこの日の体験会のラインアップではないはず。そう思っていると、関口さんは「いいの、いいの。お仕事中も遊びたい人は遊ぶ」と言います。
数人がやってきて、遊び始めました。実に自由な雰囲気です。
関口さんは「お~来たか、よしボッチャやろう」と言うと、別の場所に行ってしまいました。「今日のプログラムはバスケなんだけどな~」と、ちょっと気になる私のことは無視。
並んだ並んだ車いす。30台くらいあります。しかも、赤、青、緑、黄……と実にカラフル!
十日町市総合体育館に配備されたものに加え、この日の講師である新潟県WBC(車いすバスケットボールクラブ)キャプテン松永哲一さんが用意してくれたものです。それは圧巻です。
「いいでしょ~! 子どもたちが、わぁ乗りたいってわくわくしてくれるかなと思って作ったんです。色も形もいろいろあって、これぞ共生社会。なんちゃって!」
松永さんはとても熱く、底抜けに明るい方です。

(写真:NPO法人ネージュスポーツクラブ事務局長・関口芳平さん)
<スポーツによる笑顔と活気あふれる共生社会づくり!!>を標榜するネージュの関口さんと出会ったのは6年ほど前です。
実は関口さんは元中学校の体育の先生。陸上短距離が専門です。遡ること30数年前、教師としての初めての赴任先が盲学校(現在の特別支援学校)で、「何の経験もないまま突然、障がいのある子どもと出会ってしまった」とご本人。最初はどう接していいかわからない。それでも体育の時間はやってきます。
「ある日、ガイドランナーをやりました。視覚障がいのこの子、走るのは初めて。僕が一緒じゃなかったら彼は走れない。一緒に5キロ走りました。1日に体育の時間は4回ある。次の体育の時間も、次の日もその次の日も一緒に走りました」。生徒たちがどんどん走れるようになる喜びとともに、ご自身が実は苦手だった長距離走に強くなり、プライベートでマラソン大会に出場するほどになったそうです。
それから時を経て、教員を辞した関口さんは2016年、現職に就きました。盲学校時代の経験があったから、体育館に来てすぐに思いました。「みんなでスポーツをしよう。障がいの有無に関係なく、日常的にいろんな人が通ってきてくれるようなものを。教室も、イベントもどんどんやろう」。そして私にも、「十日町で一緒に体験会やりましょう。いろんなこと、やりましょう」とお声がけいただき、コロナ前から何度かおじゃまして、今回ついに実現に至ったのです。
私がカラフルな車いすの写真を撮っていると、関口さんが再び現れました。
「車いすはね、いますでに13台あります。なんとまた5台寄付してくれるところがあり、もうすぐ18台になるんです」
これは、すごい数です。なかなかこんなに揃っているところはありません。関口さんがどれほど熱心に動いていらっしゃるかの証左です。
「関口さん、すごいですね」
「いやいやいや。僕の力なんかじゃないんですよ。なんかね、くれるっていう方がいて、本当にありがたいんです。は~はっはっは」と言って、また私との話を途中にして、別のところへ。
ここ十日町の体育館では、実に様々な人が、自由な雰囲気の中、それぞれ好きなスポーツを楽しんでいるのがわかります。関口さんは、そういう「日常」をつくろうとしているんだ。関口さんがいつも思い描き、話してくださる「日常」というものを感じとることができた1日となりました。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>