広島カープが2年目のシーズンに入る前、財政状況が泥沼化していた球団は“風前の灯火”状態だった。しかし、初代監督・石本秀一の発案による後援会構想により、わずかながら光明が差し込んできた。一方、カープの開幕を拒むセントラルリーグ連盟は、あれこれ理由をつけて“カープ潰し”とも言える手法をとった。セ・リーグ2年目の開幕にあたり、カープだけ試合が組まれないという“珍事”である。ただ、カープ役員らが上京して必死の説得にあたり、開幕にこぎつけた。このカープ史における“第二の試練”を、熱烈なカープファンにはぜひ記憶しておいてもらいたい。

 

映画劇場で募金

 また、こうした試練を乗り越えることができたのもカープのために貯金をはたく少年あり、試合準備のために広島総合球場にかけつける少年ありと、子どもから大人までカープに情熱と浄財を注ぎ込む人々の力があったからだ。

 この時期の中国新聞の紙面には、連日、企業や各種団体から集められた寄付金が奉加帳のごとく掲載されていた。

 

<一万円広島中央放送局職員一同、六千八百円西日本重工業広島造船所鋳造工場一同、五千二百三十円広島統計調査事務所一同、四千七百三十円広島搬送管理所一同>(「中国新聞」昭和26年3月28日)

 

 企業からの支援ばかりではない。この日の紙面には「日雇労働者からカープへ支援金」という小さな見出しも躍った。

 

<広島電鉄紙屋町工事現場で働く日雇労務者八十二名は汗と脂で得た日当のなかから各自二十円を献出し一千六百四十円を『カープ存続のための一助にしてください、われわれの熱意が県民や政界、投資家への覚醒をうながせば幸いです』と本社(中国新聞)に寄託した>(同前)

 

 復興の最中、わずかな賃金でもって汗水流して働く人々も動き出していたのだ。このように個人からの拠金も少なくなかったカープへの寄付だが、前回のコラムで紹介した迫谷富三氏の名前は、昭和26年3月25日付けの中国新聞に載っている。

 

<カープ支援金>の見出しの後、<二百円広島市立段原小学校迫谷富三、五百円広島県山

県郡壬生町堀田詮三、千百二十円日本専売公社広島地方局従業員一同(第一次)、二千五百十円宇品郵便局有志>(「中国新聞」昭和26年3月25日)などと、企業も個人もこぞって、できる限りの寄付を行ったのだ。

 

 この日は個人14名、企業団体からは3つという内訳であったが、最後に名前を連ねたのは、<千円山口県平生町藤川繁雄>(同前)。広島県の隣、山口県熊毛郡平生町からの寄付だった。もっとも、カープは山口県からの応援も少なくなかった。持参すれば、山陽本線で往復5時間にも及ぶ道のりだが、それも大好きなカープのためであったのだろう。

 

 この掲載から一週間後、山口県との県境にある広島県最西端の大竹町(現・大竹市)は祝賀ムードに包まれていた。というのも、大竹町が隣接する木野村と合併したのである。時あたかも「昭和の大合併」が押し進められた時代。合併への動きはすでに昭和14年から見られていたが、きな臭い世の流れに包まれて、叶わないまま時を過ごしていたのだ。

 

 時を経て念願叶った合併当日の朝8時には花火が上がった。10時には小学校で合併の功労者表彰が行われると、なんとそのまま高校、中学、小学校の学生児童たちは、『合併祝賀の歌』を歌いながら町内で旗行列を実施した。そうした中で町の映画館はというと、3館で常時無料上映を行っていた。これに感化されたのか、4月4日から7日までは大竹体育協会が大竹駅前のラッキー映画劇場で、カープを救うべく立ち上がった。

 

<カープ基金募集のためアメリカ映画『戦場』を上映する>(「中国新聞」昭和26年4月3日)

 

 映画上映会の会場で募金活動を行ったのである。さらに映画上映を盛り上げ、一人でも多くからカープ資金を集めたいとばかり、中国新聞社大竹支局が主催し、初日の10時から先行試写会を開催した。ちなみにこの映画『戦場』は、第二次世界大戦末期、ヨーロッパ戦線におけるベルギーで、ドイツ軍が「バルジの戦い」と呼ばれる猛烈な反撃に出た一幕を描いた作品。霧に包まれた森の中での戦いが実に印象的な作品だ。

 

 当時、もはや戦争が終わって日本は生まれ変り、大竹町も生まれ変わった。そんな空気が充満していた。GHQの統治下時代もいよいよ終盤に差し掛かり、和平に向けた草案がいつ発表されるかと、日本国民はヤキモキしていた。アメリカとの単独講和か、もしくは連合国軍との講話か――。この時代を中国新聞から読み解く。

 

大阪に完投勝利

 あわよくば日本の占領政策に対する権益を握ろうと企んでいたソ連は、国連代表としてニューヨークに滞在していたヤコフ・マリク外務次官を、日本との講話のキーパーソンであるアメリカのジョン・フォスター・ダレス特使との会談に臨ませた。ところが、である。

 

<マリク・ソ連代表は三日夜『ダレス氏と会見せず』との爆弾声明を発しダレス氏帰米後の対日講和推進努力はここに一大障害に突当たった形である>(「中国新聞」昭和26年3月5日)

 

 これには伏線があった。<ダレス氏が二十八日の記者会見でソ連のハボマイ(歯舞)島

の領有について相当強硬な発言をしている>(同前)

 

 揺れる世界情勢下の注目は日本の民主化という観点ではなく、いかに世界の国々が自国の有利になるように日本を独立国家へ向かわせるか。いわゆる、独立後の日米間の冷戦に向けたカードを切っては、世界情勢を窺っていたのである。

 ちなみに2月28日のダレス氏の発言はこうだ。

 

<ソ連が北海道東岸の歯舞島をヤルタ協定によってソ連に与えられた千島列島の一部であると称して占有しているのは不当だ>(「中国新聞」昭和26年3月2日)

 

 こうした因縁は、第二次大戦中のヤルタ会談にまでさかのぼるが、この時期、アメリカは世界の国々をけん制しながらも、着々と講和に対する草案をまとめつつあった。

 世界が日本の独立に対して、さまざまな主張をぶつけ合う中、カープはセントラルリーグ連盟の圧力から一旦解放されて、シーズンインすることになる。

 

 カープの開幕戦の相手は、長尺バットの使い手・藤村富美男がクリーンアップに座る大阪タイガースである。一方のカープは、投手陣の層の薄さが懸念材料だった。頼れる投手は長谷川良平のみ、と揶揄され、その長谷川も中耳炎による調整不足で投げられない。そんな中、彗星のごとく現れたのが、ノンプロの熊谷組から入団した新人の杉浦竜太郎であった。

 

 試合は4月7日、午後2時半に広島総合球場で始まった。カープ先発の杉浦は、長谷川を彷彿させるようなサイドスローからのインシュートとカーブが冴え渡った。3回表、後藤次男に先制タイムリーを許すも、要所を締めるピッチングで大阪打線を7安打に抑えた。

 これにカープ打線が応えた。1番から白石敏男(後、勝巳)、武智修、長持栄吉、辻井弘と抜け目なく好打者が並んだ打線は、先制された直後の4回裏、すぐに反撃に出る。相手先発の西村修(後、井沢修)からエラーと2つのフォアボールで2死満塁とすると、大阪は西村から干場一夫にスイッチする。しかし、ここで武智が投手強襲のヒットを放って同点に追いついた。

 

 新人の杉浦が好投する中、カープ打線は押し気味に試合を進める。7回裏1死、2人のランナーを出すと、大阪は早くも3番手・内田清をマウンドに送った。直後、高木茂のライトへの打球が三塁打となり、3対1と大勢を決めた。さらに押せ、押せのムードの中、磯田憲一の内野安打でダメ押し。攻撃の手を緩めないカープは磯田が二盗すると、杉浦の打球はボテボテのゴロとなりサードへ。これを名手・藤村が悪送球して磯田が還り、5対1と勝負あった。

 

 新人で、いきなりの完投勝利をあげた杉浦は一気に評価を上げた。

 

<長谷川病気欠場の広島に幸先よい一勝をもたらす殊勲者となったことは投手力の非力な広島にとって何よりのプラスといわねばなるまい>(「中国新聞」昭和26年4月8日)

 

 この杉浦の“新人開幕戦先発勝利”は、プロ野球史上初の出来事だった。というのも、広島にとっては開幕戦だが、阪神にとってはそうではなかったからだ。現代では起こり得ない唯一無二の出来事とあり、記録こそないものの記憶にはとどめておきたい一戦である。まして、エース長谷川不在の窮地を救ったのだから、なおさらであろう。

 

 さあ、セ・リーグで唯一開幕戦を行っていなかったカープが開幕を迎えた。このまま5月の鯉のぼりの季節まで、勢いよく昇っていこうとしたのもつかの間、さらなる試練が襲い掛かる。次なる試練の詳細は次回の考古学でお伝えする。乞うご期待。

 

【参考】

「中国新聞」(昭和26年3月2日、5日、25日、28日、4月3日、8日)


西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>フリーライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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