いよいよプロ野球のペナントレースが佳境に入ってきました。9月24日時点でセ・リーグは首位・東京ヤクルトが優勝マジック2、パ・リーグは首位・福岡ソフトバンクがマジック6としています。2位・横浜DeNAと6ゲーム差のヤクルトに対し、ソフトバンクは2位・オリックスとゲーム差なし。1勝、さらには1球の重みが日ごとに増しています。

 

 それでは、今月も私の球論にお付き合いください。

 

試合日程とにらめっこ

 パ・リーグの優勝争いは一時、柳田悠岐の活躍もあってソフトバンクが抜け出したかと思われました。しかし、17日からのオリックスとの直接対決で3連敗したことで、再び振り出しに。こういう状況になると、もうピッチャーの勝負ですね。先発で言えばソフトバンクなら千賀滉大、オリックスなら山本由伸が投げる試合は絶対に落とせません。

 

 当然、残り試合で当たるチームの先発ピッチャーも予測しなくてはなりません。どの試合で千賀や山本を登板させるべきか、首脳陣の判断が重要になってきます。特にシーズン最終盤ともなると、通常通りの同一カード3連戦ではないわけですから。不規則な日程の中で、相手の出方も見ながらベストなタイミングを探っていく必要があります。

 

 昔、私が西武に在籍していた時も同じようなことがありました。マジックが出て、1桁まで減ったはいいものの、そこからが大変。試合の日程が書かれたホワイトボードを見ながら、「この近鉄戦は野茂(英雄)が来る、そして、このロッテ戦は伊良部(秀輝)…」なんて計算していたら、マジックを減らせそうな試合が全然なかったりするんです(笑)。

 

 今季に話を戻すと、ソフトバンクもオリックスもともに地力があるのでどちらが勝ってもおかしくありませんね。ただ、天理高(奈良)の後輩でもある藤本博史監督(ソフトバンク)には頑張ってもらいたいですよ。2、3軍の監督を歴任してきた経験を活かして、今季、本当に若手を積極的に起用した。それが実を結んで優勝できれば、もう言うことなしです。

 

「打撃はいいんだよなァ」

 上位2チーム以外では、東北楽天が3位・埼玉西武と0.5ゲーム差の4位です。序盤は最大18の貯金を作り首位を独走していましたが、ベテラン中心の主力選手が調子を落とすと、一気にチーム成績も低迷してしまいました。終盤戦に入ってからも気の抜けたプレーで勝機を逸するゲームがあったりと、やはり上位チームと比べると勝負弱さや脆さを感じます。

 

 その要因の一つとして、“継ぎ接ぎ”で構成された首脳陣の影響もあると見ています。石井一久監督らヤクルト色が強かったり、真喜志康永ヘッドコーチら近鉄色が強かったりと、いまいちカラーが定まっていない。それは13年に球団初のリーグ優勝、日本一を達成した星野仙一監督の時代も言えたことなのですが、星野さんにはそういうチームに一本筋を通し、団結させるだけの求心力がありましたね。

 

 私は12年から3年間、守備走塁コーチとして星野監督に仕えましたが、コーチに対する指示の仕方から違っていました。岡山で行われた秋季キャンプでは、星野さんが私にポツリと言うのです。「ヤス、あの銀次っていう男、バッティングいいんだよ」って。つまり課題の守備を鍛えて、得意の打撃を活かせるようにしてくれ、という“注文”ですよね。

 

 それで当時23歳だった銀次の守備を見ながら、星野さんに「たしかにヘタクソですね~」なんて返すと、それでも監督は「いや~でもな、バッティングはいいモノ持ってんだよなァ」と再びポツリ(笑)。コーチに対して、選手を“上手くしろ”“使えるようにしろ”などと、頭ごなしに言うことは絶対にありませんでしたね。そういう星野監督の下で野球をしていると、コーチや選手たちは「何とかこの親分を胴上げしたい」と強く思うようになったのです。

 

 最後に、優勝争いが白熱する一方で、ユニフォームを脱ぐ決意をした選手たちもいますね。私が最も印象に残っているのは、糸井嘉男(阪神)でしょうか。彼がライトを守っていたオリックス時代(13~16年)、楽天でサードコーチャーをしていた私は、その強肩に幾度となく驚かされ、惑わされましたよ(笑)。他の引退選手を含め、本当によくプロ野球を盛り上げてくれたと思います。それでは、また来月お目にかかりましょう。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良)を務め、無事"完走"を果たした。


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