このトシになってやっとわかってきた。わたしには、世界大会のたび、相手にバイアスをかけてしまう傾向がある。
強いチームをより強く、弱いチームをより弱く認識したがってしまう。
W杯カタール大会での対戦相手が決まった時もそうだった。ドイツ。ヤバい、強敵度マックスの「10」。スペイン。右に同じ。コスタリカ。ラッキー。勝ちが計算できる唯一の相手。
いかんよなあ、反省が足らん。
16年前のW杯ドイツ大会。わたしの頭の中にオーストラリアは存在しないも同然だった。勝ち点3は確実。強敵度が「5」ぐらいのクロアチア戦を上手く乗り切れば、強敵度マックスのブラジル戦を消化試合にできる。そんな皮算用まで立てていた。
だから、打ちのめされた。暑いカイザースラウテルンでオーストラリアに逆転負けを食らったことで、この世の終わりのような気分になってしまった。
オーストラリアはウルグアイとのプレーオフを潜り抜けてきていた。わたしは、その死闘を現地で目の当たりにしていた。にもかかわらず、いざW杯での対戦が決まってみると、わたしの中でのオーストラリアは74年大会のオーストラリアに成り下がっていた。1次リーグで東西ドイツになすすべもなく蹂躙された、下手くそな大男たちをイメージしてしまった。
もし16年前のわたしが、オーストラリアが強敵であることを自覚していれば、あんなにも打ちのめされることはなかった。仕方がない。次に切り替えていけばいい。そう思えた。
だが、実際のわたしは思えなかったし、後で聞いたところによると、どうやら日本代表選手たちも同じだったらしい。
同じ失敗を繰り返してはいけない。
コスタリカは弱い? そうだろうか。確かに北中米予選での彼らはカナダ、メキシコ、米国の後塵を拝している。だが、この3チームとの対戦成績は2勝1分け3敗とほぼ五分で、なおかつ、負けた試合はすべて1点差だった。
唯一勝ち星をあげられなかったメキシコ戦にしても、引き分けに終わった敵地アステカでの一戦は、相手GKオチョアの再三にわたるビッグセーブが光った試合だった。
コスタリカ、弱い相手であるわけがない。
金曜日に日本がデュッセルドルフで対戦する米国は、コスタリカとはずいぶんとスタイルが違う。同じ北中米のチームだからといって、“仮想コスタリカ”と見るのは違うとわたしは思う。
ただ、最終予選でコスタリカと1勝1敗だったチームとの力関係を肌で知ることの意味は大きい。
アジア予選で日本に完敗したオーストラリアがペルーとの大陸間プレーオフを制したことで、わたしの中には、南米のミドルクラスの実力を測る一つの物差しができた。仮に本大会でエクアドルと当たることがあったとしても、南米だからといって臆することもない。彼らは、オーストラリアに勝てなかったペルーに予選で負けているチームだから、である。
明日の米国戦、そして本大会直前にカナダ戦を組んだことで、日本代表の選手たちがコスタリカの実力を見誤る可能性はグッと減った。わたしと違い、協会は同じ失敗を繰り返すつもりはないらしい。
<この原稿は22年9月22日付「スポーツニッポン」に掲載されています>
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