馬として生まれなければ騎手にはなれない。それが日本サッカー界である。

 

 何を言っているのかわからない、という方のためにご説明を。その昔、イタリアの名門ACミランが、プロサッカー選手としての経験が一切ない人物を新監督として招聘した。世論は揺れた。クラブの判断を疑問視する声も大きかった。

 

 だが、後にイタリア代表の監督にまで上り詰めることになるその男は、自らの経歴を不安視する人たちに向けて言った。

 

「騎手になるために、馬に生まれる必要はない」

 

 もちろん、アリゴ・サッキのようなケースは、そうそうあるものではない。サッキ以降のイタリア代表の監督は、期間の長短はあれ、すべてプロ経験者である。騎手になるためには、馬に生まれておいた方が何かと有利なのは間違いない。

 

 日本の場合は、特に。

 

 プロ経験のない人物がトップレベルで指揮を執れるようになるまでのハードルは、明らかに欧州よりも高い。若年層の指導で結果を出し、そこからキャリアアップしていくという、たとえば現在はバイエルンの監督を務める35歳、ナーゲルスマン(プロ経験なし)のような例もいまのところ、なきに等しい。

 

 前日付の本紙に、J2町田の監督に青森山田の黒田監督の就任が濃厚になった、という記事があった。近年の高校サッカー界において、青森山田が格別の強さを誇っているのは誰もが認めるところ。ぜひ実現してほしいし、クラブも面白いところに目をつけたと思う。

 

 ただ、若年層の指導者がプロの世界に飛び込む場合、越えなければならない壁がある。

 

 監督にとって大切なのは、理論を持っているか、ではない。いや、もちろん持っていなければいけないのだが、より大切なのは、それをいかに選手に伝えるか、納得させるか、である。

 

 日本の場合、特に高校の場合、指導者と選手の関係は必ずしも対等ではない。ずいぶんと改善されてきたとはいえ、監督の命じたことに真っ向から反論することが許される空気のある学校は、まだまだ少数派だろう。つまり、多くの高校の監督は、選手は自分の言葉を全面的に受け入れる、という前提のもとで指導している。

 

 欧州の場合、たとえ若年層であっても選手と監督の関係はより対等に近い。それが、若年層上がりの指導者がプロの世界に転じても、日本ほどには戸惑うことなく、またより多くの成功例を生んでいる一因とわたしは見る。

 

 では、選手の立場にたって想像してみる。わたしが町田の選手だったら。うん、冷笑している。プロをナメるなよ。そう思って斜に構えている。たぶん、サッキを迎えたミランの選手がそうだったように。そして、高校サッカーの名将と呼ばれた監督たちは、自らに否定的な目を向けてくる人間と対等な関係で対峙した経験から、ずいぶんと遠ざかってしまっている。

 

 難しい。簡単なことでは、断じてない。ただ、言い方を変えれば、非常に刺激的な挑戦でもある。

 

 85年、セリエC1パルマの監督だったサッキは、2年後にはミランの、その5年後にはアズーリの指揮官になった。おとぎ話は日本でも起こりうるか。「Si(はい)」と答えられる未来を、わたしは見たい。

 

<この原稿は22年10月14日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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