わたしだったら、最後のリーグ戦での出来を重視するかもしれない。わたしが代表監督で、選手選考に頭を悩ませているとしたら。

 

 サッカー選手にとって、W杯でプレーすることの意味は大きい。「将来はWBCでプレーしたい」と夢想する野球少年より、「いつかはW杯」と夢想するサッカー少年の方が、比率の面で上回ることは間違いない。そこに届くか届かないか。わたしが選手だったら、正直、気もそぞろである。

 

 だから、わたしが選ぶ側ならば注目したい。重圧を受け、およそベストな心理状態とはほど遠いであろう当落線上の選手が、どんなプレーを見せてくれるのか。そこで最高のパフォーマンスを披露できる選手は、きっと、同じく重圧のかかるW杯でも力を発揮してくれる可能性が高いと考える。どの道、誰を選んでも落としても、いくばくかの後悔は残る。ならば、土壇場で輝きを放った選手に賭けてみる。

 

 それにしても、凄い時代になったものだとつくづく思う。

 

 日本が初めてW杯に出場した時、欧州のクラブに所属している選手は一人もいなかった。4年後の日韓大会当時も、海外でプレーする選手は少数派だった。

 

 いわゆる“海外組”という言葉が使われ始めたのは、00年代の中盤からだっただろうか。“海外組”は優遇されているのに、“国内組”は出場機会すら与えてもらえない。現場からのそんな不満も漏れ聞こえてくるようになった。

 

 ただ、W杯本大会が世界を相手にした日本以外で行われる大会である以上、異国に適応した経験を持つ“海外組”が優遇されたのには仕方のない部分もあった。やがて、まず日本代表に選ばれ、それから海外を目指すという流れに、まず海外に飛び出し、そこから日本代表を目指すという新たな潮流が加わった。

 

「もっと海外でプレーする選手が増えなければ」と訴えたのはW杯日韓大会当時の監督だったトルシエだが、そんな彼でさえ、ここまで海外でプレーする日本人が増えるとは予想外だったのではないか。海外のクラブに所属することが日本代表への近道だった時代は、ほぼ終わりつつある。

 

 いまや、海外のクラブに所属していれば、たとえレギュラーでなくとも代表の椅子が約束されるということはなくなった。それどころか、単なるレギュラーという立ち位置を超え、地元のファンから熱烈に愛される存在となっても、メンバー入り自体を不安視されている選手もいる。当人や関係者からすればたまったものではないだろうが、これはこれで、日本のサッカーが健全な成長を遂げている証でもある。

 

 実を言えば、過去に6度あったW杯のメンバー発表の際、わたしはどちらかと言えば無関心な方だった。騒がれているのはチームの枝葉の部分に近いもので、誰が落ち、誰が入ろうがチームの骨格は変わらない、との思いがあったからである。

 

 今回は違う。たとえば大迫勇が入るのであれば、森保監督は前線から激しく圧力をかける戦い方とは別に、ポストプレーを軸にしたスタイルも用意していることになる。南野の扱いも変わってくる。つまり、選考によって骨格が見える。

 

 メンバー発表まであと5日。まずは今週末、世界各地に散らばる候補たちの、最後のアピールに注目したい。

 

<この原稿は22年10月27日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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