あまりにも劇的な幕切れにすっかりかき消されてしまった感はあるが、メッシの戴冠で終わったW杯カタール大会は、次世代の王は誰かを、改めて世界に知らしめた大会でもあった。

 

 いうまでもなく、キリアン・エムバペである。

 

 次世代の王、というのは、必ずしも「メッシの次のスター」というわけではない。紆余曲折はあれど、メッシはマラドーナの後を継ぐことを期待された選手だったし、そのマラドーナは「次のペレ」として世界の脚光を浴びた。才能ある若手が現れるたび、偉大な先達の姿をダブらせてきたのが、世界のサッカーの歴史だった。

 

 だが、すでにW杯のトロフィーと得点王を1度ずつ獲得し、年に1億ドル以上を優に手にしている24歳には、比較の対象がいない。若いころはフランス国内で「ティエリ・アンリの再来」と言われたこともあったが、いまとなっては、アンリの方が恐縮するだろう。

 

 ペレは、マラドーナは、そしてメッシは、サッカーという競技における頂点だった。世界中の少年が彼らに憧れたのは、キャプテン翼の世界観のように、ボールと友達になれれば、大親友になれれば、その域に近づけるかも、という幻想を抱けたからだった。

 

 だが、エムバペを目指すのは簡単ではない。

 

 メッシは素晴らしいサッカー選手だが、では、サッカー以外の世界で輝くことができただろうか。ペレは? マラドーナ? サッカーボールを足元に置いていない彼らが、他の世界で成功する姿をわたしは想像することができない。

 

 エムバペは違う。彼のトップスピードは、ウサイン・ボルトよりちょっと遅いだけ、だという。速さに磨きをかければ陸上競技の世界でも生きていけただろうし、体幹の強さをみれば、いますぐにでもラグビーのウイングとしてプレーできそうな気さえしてしまう。

 

 こんなスーパースターは、かつてなかった。

 

 エムバペを目指す道は、ひょっとすると、メッシやマラドーナを目指す道よりも厳しい。ただ、彼がスーパースターとして確固たる地位を築いた以上、今後はエムバペのエッセンスを取り入れようとする動きが加速するだろう。

 

 つまり、サッカー選手のアスリート化が進む。

 

 ほんの四半世紀前まで、サッカー界では喫煙が珍しい習慣ではなかった。タバコを吸おうが、酒を呑もうが、マラドーナのようにドラッグに手を出そうが、ピッチに立てば王様になることも可能なのがサッカーというスポーツだった。ずいぶんと時代が変わったとはいえ、アスリートとしての能力より、技術や頭脳を重視しがちな傾向は依然として色濃く残っている。

 

 だが、これからのサッカーでは、技術を磨くのと同じぐらい、アスリートとしての能力を高めていくことが求められるようになる。

 

 神戸の槙野あたりは以前から取り組んでいるようだが、個人的にスプリントのコーチをつけるという流れが、若年層でも広がっていくかもしれない。陸上のプロに言わせれば、サッカー選手の多くは速く走るための走り方ができていないという。言い方を変えれば、正しい知識とトレーニング次第で、多くの選手はいま以上のスピードを獲得することが可能だということである。

 

 11人全員が駿足。それが常識だという時代が、エムバペとともに始まろうとしているのかもしれない。

 

<この原稿は22年12月22日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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