愛媛県松山市で生まれ育った神奈川大学3年の秀野由光(しゅうの・ゆみ)。由光と言う名は「自由に光り輝く」という意味を込めて付けられた。幼少期の秀野は、母・雅美によれば、「とにかく静かな子で、買い物に行くと私の足にまとわりついてくる。人見知りが激しくて、なかなか笑いませんでした」という。家では多少“やんちゃ”な面を持ちつつ、外に出ると一転、大人しくなる。いわゆる“内弁慶”と呼ばれるようなキャラクターだったのだ。

 

 そんな秀野が水泳を始めたのは3歳の時だ。2歳上の姉・加奈も通う五百木(いおき)スイミングクラブに入った。自らが希望してクラブに入った姉とは違い、秀野は「水が苦手だった」という。母・雅美の回想――。

「シャワーもダメなくらい水が苦手。水中に潜る練習では半泣き状態でした」

 

 水泳の練習は週6回。当初は泣きながら練習していたという。

「最初は水が嫌だったから泣いていましたが、泳げるようになっていくと水の中で遊ぶ時間が増える。クラブのそういうところに楽しさを感じていたのかなと、今は思います」

 水が苦手な内気な少女にとって、五百木スイミングクラブのアットホームな雰囲気は水が合ったのだろう。母・雅美も「『辞めたい』『休みたい』とは一言も言わなかった」と記憶している。

 

 秀野が通った五百木スイミングクラブは、県内最古の歴史を持つ。開設されたのは1965年だが、前身の吉田浜水練倶楽部まで遡れば、その30年以上前に設立されている。「生きるための」をコンセプトに、まずは背泳ぎから教えられる。水中に落ちた時、まず顔を浮かせることを意識すれば溺れにくい――という考えからだ。そのクラブに通った秀野3姉妹は、背泳ぎを専門種目とするのだから何かの縁を感じざるを得ない。母・雅美は「由光の場合は潜るのも顔を水につけるのも嫌いだったから、背泳ぎだったのかもしれませんね」と笑う。

 

 走るのが得意で、小学校高学年から陸上部にも入った。学校で走る練習をした後、スイミングクラブで泳ぐ練習という日々を送った。

 

 そして大会に出るようになり、「人と競うことで、負けず嫌いが芽生えてきたように感じます」と母・雅美。小学6年生時のある日のことだ。愛媛県でリレーのメンバーを選ぶ機会があった。その日のレース、結果は悪くなかったのにメドレーリレーに選ばれなかった。母・雅美によれば、「更衣室から出てこなかった」というほど、秀野本人は悔しがった。

「『有無も言わせないくらい強くなれば、こんなことはなくなる』という話をし、そこから一層負けず嫌いになった気がします。“背泳ぎだけは誰にも負けない”と」(母・雅美)

 

「姉ちゃんはすごい」

 

 中でも“負けず嫌い”が色濃く表れるのは、姉・加奈に対してだった。

「私は気が強くて姉ちゃんに対して言い過ぎてしまうこともありました。家の中でバチバチの時期もありましたね。その頃は“姉に負けたくない”としか思っていなかった」

 ただ水泳以外に関して張り合うことはなかった。また2歳下の妹・亜耶との関係性とも異なるという。

「ずっと姉ちゃんを見てきて、姉ちゃんを追いかけていました。妹とは友達に近い感覚。“何が好き”“あれが可愛い”などと水泳以外の話をすることが多いですね」

 

 先に全国で頭角を現したのも姉・加奈の方だった。「お姉ちゃんが先に全国区になり、本人もそうなりたいと思っていたはずです」と母・雅美。秀野が中学2年時、姉・加奈はJOCジュニアオリンピックカップ春季水泳競技大会の15~16歳の部で50m背泳ぎ決勝に進出した。その決勝レースの入場時、母親と一緒に会場で見ていた秀野が、ポツリとこぼしたという。

 

「姉ちゃんはすごい」

 当然、“負けたくない”という気持ちもあったはずだ。同じ競技、種目を選んでいるからこそ、そのすごさもより分かるのだろう。その決勝で、姉・加奈は2位に入った。

 

 そして姉の背中を追いかけていくうちに、秀野はメキメキと力をつけていった。中学3年時には全国中学校体育大会(全中)、JOCジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会で自己ベストを更新し、入賞を果たす。岩手で行われた国民体育大会では、少年女子Bの100m背泳ぎで3位に入り、表彰台に上がった。400mメドレーリレーの選手としても5位入賞&愛媛県記録更新(4分14秒22)に貢献したのだった。

 

 翌年は愛媛県で行われる国体を控えていた。秀野は姉と同じ新田高校に進学。その頃から姉に対する感情は、対抗意識から少しずつ変わっていった。「私が高1、姉ちゃんが高3の時の国体を“一緒に出たい”と思っていました」。地元開催の国体で一緒に決勝を泳ぐ――。それが目標だった。

 

(第3回につづく)

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秀野由光(しゅうの・ゆみ)プロフィール>

2001年4月22日、愛媛県松山市出身。4歳の時に五百木スイミングクラブで水泳を始める。垣生中学、新田高校時代には全国大会に出場。高校3年時には熊本での全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の女子100m背泳ぎで準優勝した。19年に神奈川大学に進学。2年時に日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の女子100m背泳ぎで優勝。チームの女子総合優勝に貢献した。3年時には女子100m背泳ぎ連覇を含む背泳ぎ2冠を達成。22年FISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表(大会は中止)。趣味はショッピングとネイル。身長159cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


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