2017年春、秀野由光(しゅうの・ゆみ)は姉・加奈が通う新田高校に進学した。五百木(いおき)スイミングクラブ、松山市立垣生小学校、垣生中学校と姉と同じ道を歩んできた秀野にとって、それは自然な流れだった。

 

「最初に大きな目標をドンと立てて、そこに向かうよりは、成功してから見えてくる目標をひとつずつ進むことが多かった」と、これまでの競技人生を振り返る秀野。姉の背中を追いかけながら、一歩一歩、成長を遂げてきた。

 

 秀野は高校1年時に初めて日本選手権水泳競技大会に出場する。姉・加奈も出場権を獲得し、2人揃ってスイマーの日本一を決める大会に挑んだ。「参加標準記録を切れたこと、姉ちゃんと出られることが純粋にうれしかった」。この年は愛知・日本ガイシアリーナでの開催となった日本選手権。しかし秀野姉妹は50m背泳ぎで、いずれも予選落ちに終わった。

 

 秀野にとって、姉の存在が特別であることは、当時の愛媛新聞に<「負けたくない思いで続けてきて、今は心の支えでもある」>(17年8月19日付け)という彼女のコメントが掲載されたことからも明らかだ。

 宮城で行われた全国高等学校総合体育大会水泳競技大会(インターハイ)では100m、200m背泳ぎ、4×100mメドレーリレーの3種目に揃ってエントリーした。2人で出場できる最初で最後のインターハイである。

 

 200mは秀野が予選9位でB決勝(予選9位から16位まで)に進んだものの、姉・加奈が予選敗退。秀野が背泳ぎ、姉・加奈がバタフライで参加した4×100mメドレーリレーは予選9位で惜しくも決勝に進むことはできなかったが、100mは揃って決勝進出を果たすことができた。

 秀野が全体4位(3組1位)、姉・加奈が同7位(5組2位)で通過した決勝のレース直前。2人の関係性を物語るエピソードが当時の新聞に載っていた。

<大事な試合のお決まり>(「読売新聞・愛媛版」17年8月19日付け)として、紹介されたのが、<ハイタッチからの握手をして入場>(同)する“ルーティン”だ。

 

 秀野にとって初のインターハイ、その決勝となる大舞台にも、秀野姉妹は“自分たちらしさ”を貫いた。2人とも前半から飛ばすレース運びを展開。前年のインターハイ背泳ぎ2冠を達成した兵庫・宝塚東3年の白井璃緒が1分1秒28で制したが、秀野は0秒95差の3位に入った。姉・加奈は6位。秀野の1分2秒03、姉・加奈の1分2秒65のタイムはいずれも従来の愛媛県高校記録、そして同県記録を塗り替えるもの。愛媛県記録に至っては約5年ぶりの更新だった。

 

 地元愛媛での国民体育大会(国体)にも、姉・加奈と揃って出場した。姉は少年女子Aの4×100mリレー、秀野は少年女子Bの100m背泳ぎと同4×100mメドレーリレーにエントリー。秀野は100m背泳ぎで3位に入り、インターハイに続き、個人種目で表彰台に上がった。4×100mメドレーリレーでは第1泳者として準優勝に貢献した。

 

 このまま一気に上昇気流に乗り、全国制覇に近付くかと思われたが、高校2年時は足踏みが続く。日本選手権は50m、100m、200mと背泳ぎ3種目で予選落ち。愛知でのインターハイは200m背泳ぎで3位に入ったものの、得意種目の100mで6位、タイムと順位において前年を上回れなかった。福井国体は少年女子Aの背泳ぎ200mで6位入賞だ。ついぞ表彰台の真ん中に立つことはできなかったのである。

 

 進学を決めた親近感と成長への欲

 

 当時は愛媛県内では負けなしの存在だったが、高校2年時の全国JOCジュニアオリンピックカップの県予選、200m背泳ぎで同学年、同じ五百木スイミングクラブの桑村七海に敗れた。

「どこか相手の力を認めていなかったところがありました。そのレース以降、相手の泳ぎを見て、なぜ速いか、練習では私の方が速いのになぜ試合で負けたのかを考えるようになりました」

 ただガムシャラに泳いでいただけでは強くなれない――。本人によれば、この負けがターニングポイントとなったという。

 

 高校3年時は熊本でのインターハイの100m背泳ぎで準優勝。1分1秒94の自己ベストをマークし、自らが持つ愛媛県記録を更新した。200mでも3位に入り、表彰台に上がった。さらに全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会ではCS(18歳以下)で背泳ぎ2冠(100m&200m)を達成した。

 

 高校卒業後の進路は姉・加奈と別の道を歩むこととなる。中京大学には練習参加したことがあり、2歳上の姉が進学していた縁もあった。周囲も秀野が中京大に進むことは規定路線と思われていた。そこに“ちょっと待った”とばかりに彼女に声を掛けたのが神奈川大学だった。当時の神奈川大は強豪校でもなければ、他大学と比べて充実した施設を誇っていたわけではない。水泳部の横山貴コーチ(写真)は、神奈川から愛媛に直接赴き、自分の想いをぶつけた。

「全国大会での泳ぎの良さを見て、どうしても一緒にやってみたかった。これから日本の背泳ぎを切り拓くのは、彼女みたいな荒削りだけど、リズムの良い泳ぎをする選手だと思ったんです。本人には『(神奈川大を)選択肢のひとつに入れて欲しい』と伝えました。『新しい歴史と伝統を一緒につくっていこう』とも」

 

 横山の熱意にほだされた部分もあったのだろう。

「勧誘が来るまでは神奈川大学のことをあまり知らなかったんです。でも、“とりあえず体験に行ってみたい”“この大学のことをもっと知りたい”と思うようになった。すぐ姉ちゃんに『神奈川大学に行ってみたい』と話をしました」

 胸の内を明かしたのは、自分が進んできた道を先に歩んでいた姉が、良き相談相手でもあったからだ。

 

 とはいえ、横山の熱さだけで神奈川大に気持ちが傾いたわけではない。練習に参加した際、秀野が感じたのが「初めて来たのに親近感が沸いた」という雰囲気だった。元来は人見知りの性格。その彼女が「自分を隠さずに話をできた」というのだから、よほど水が合ったのだろう。

「みんながひとつになり、インカレで総合優勝を目指すという熱い気持ちも伝わってきました。そのひとつになっている感じが、通っていた五百木スイミングにも似ていて、“良いな”と思ったんです」

 

 生まれ育った愛媛から遠く離れることも容易なことではなかったはずだ。それでも秀野は、自分の中にこみ上げてきた想いをとどめておくことはできなかった。

「中京大は練習も参加していたし、雰囲気や環境も知っている。姉ちゃんがいたので行きやすい場所でした。でも私自身“成長したい”という気持ちがあったので、関東に出ることを決めました」

 彼女は新たな一歩を踏み出したのだった――。

 

(最終回につづく)

>>第1回はこちら

>>第2回はこちら

 

秀野由光(しゅうの・ゆみ)プロフィール>

2001年4月22日、愛媛県松山市出身。4歳の時に五百木スイミングクラブで水泳を始める。垣生中学、新田高校時代には全国大会に出場。高校3年時には熊本での全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の女子100m背泳ぎで準優勝した。19年に神奈川大学に進学。2年時に日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の女子100m背泳ぎで優勝。チームの女子総合優勝に貢献した。3年時には女子100m背泳ぎ連覇を含む背泳ぎ2冠を達成。22年FISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表(大会は中止)。趣味はショッピングとネイル。身長159cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


◎バックナンバーはこちらから