WBCでアズーリ旋風を巻き起こしているイタリア代表のマイク・ピアザ監督は、ドジャース時代、よくスタンドから「ピッツァ!」とやじられていた。やじといっても耳を覆うような悪質なものではない。親しみを込め、からかい半分に、といったニュアンス。PIAZZAとPIZZA。確かに紛らわしい。

 

 シチリア島からの移民2世である父ビンスは、同じイタリア系のトム・ラソーダ元ドジャース監督と親しく、88年、その縁でドラフト指名を受ける。全体で1389番目。口さがない者はピアザを“ラソーダのペット”と揶揄した。

 

 そうした嘲笑ややっかみを、ピアザは実力で見返す。入団5年目の93年、35本塁打を放ち、満票で新人王に。ペット転じて「ジョニー・ベンチの再来」と呼ばれるまでに成長した。

 

 そのピアザにラソーダが電話を入れたのは95年の1月。「日本からナンバーワン投手がやってくるぞ」。2月、キャンプ地のベロビーチで初めて野茂のフォークボールを受けたピアザは、目を丸くして言った。「まるでそれ自体が意思を持った生き物のようにキュルキュルと音を立てながら落ちてくる」。当時、ドジャースにはトム・キャンディオッティというナックルボーラーがいた。「どちらのボールが凄い?」と問うと、「野茂のボールの方が、よりナスティーだ」と答えた。

 

 野茂もピアザには全幅の信頼を寄せていた。96年9月17日、“打者天国”と呼ばれるロッキーズの本拠地クアーズフィールドでノーヒッターを達成した際には、「ピアザに助けられた」と、初っ端に相棒のリードを称えた。「打者の目線をかえるため上下だけでなく、左右の配球にも変化をもたせた。これらは全てピアザのアイデアによるもの」

 

 06年の第1回WBCにイタリア代表として出場したピアザに、監督の話を持ちかけたのもラソーダだ。恩師は渋る愛弟子に「野球が国際化するには欧州勢、特にイタリアが先陣を切らなければならない」と説いた。

 

 これは偶然だろうか。イタリア系の捕手出身者には名将が多い。たとえばラソーダ門下生のマイク・ソーシア。02年にはエンゼルスを初のWシリーズ制覇に導いた。ヤンキースを4回も頂点に導いたジョー・トーリもキャリアの前半は捕手として活躍し、ブレーブス時代の65年にはゴールドグラブ賞に輝いている。トーリの後を襲ったジョー・ジラルディもマーリンズの指揮を執っていた06年、ナ・リーグ最優秀監督に選出されている。最優秀監督といえば、エンゼルスで大谷翔平と良好な関係を築いたジョー・マドンは両リーグで3度の受賞だ。

 

 忘れてならないのは、“ヤンキース史上最高の捕手”と呼ばれるヨギ・ベラ。世界一10回、MVP3回。監督としてもヤンキースとメッツでリーグ優勝を果たしたが、世界一にはなれなかった。

 

 イタリア系捕手。スキッパー・ピアザが侮れないとしたら、この点だろう。MLBにおける名将の知られざる系譜が不気味さを増幅させている。

 

<この原稿は23年3月15日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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