認定NPO法人フローレンスは、<みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会>の実現を目指し、訪問型病児保育、障害児保育・支援、小規模保育事業などを展開している。2022年には、重度障害児・者のeスポーツ全国大会【フローレンス杯】アイ♡スポを開催した。駒崎弘樹会長に設立の想いと今後の展望を訊いた。

 

伊藤数子: 2004年にフローレンスを設立した経緯をお聞かせください。

駒崎弘樹: きっかけは私が大学生の頃、ベビーシッターをしていた母から聞いた、ある母子家庭の話でした。その家庭では、子どもが熱を出したため母親が会社を休んで看病をしていたら、クビになってしまったというのです。その話を聞いて“子どもの病気で悩む親御さんと子どもを助けたい”と思い、フローレンスを立ち上げ、病児保育をスタートさせました。

 

二宮清純: フローレンス設立から10年後の2014年、東京都杉並区に日本初の医療的ケア児(人工呼吸器や胃ろう、たんの吸引等の医療的ケアが日常的に必要な児童)を専門に長時間お預かりする保育園「障害児保育園ヘレン」(以下、ヘレン)を開園しました。

駒崎: 日本は世界で一番出産時に子どもが死なない国なんです。新生児救命医療技術が進歩したことにより、医療的ケア児は2005年の約1万人から2021年で約2万人と2倍に増えました。ヘレンの開園翌年の2015年に自宅でマンツーマン保育をする「障害児訪問保育アニー」(以下、アニー)を、2019年には18歳までを対象とする訪問支援「医療的ケアシッターナンシー」(以下、ナンシー)の提供を開始しました。現在、ヘレン・アニー・ナンシーで2021年度までにお預かりしたお子さんは、のべ人数で287人になりました。おかげさまで「私を社会に戻してくれてありがとう」という利用者の声がいくつも届いています。

 

二宮: 医療的ケア児は年齢を重ねていく中で、症状が改善することはあるのでしょうか?

駒崎: 当初はないと思っていたのですが、ウチの園でのいろいろな遊びや運動を通じて医療的ケアが必要なくなったり、症状が軽くなり、他の認可保育園に転園できるケースもたくさん出てきています。

 

二宮: 日本の医療的ケア児の数が約2万人ということですが、海外は?

駒崎: 日本が“医療的ケア児大国”という側面はありますが、日本と海外とでは死生観が違うんです。例えばイギリスでは超未熟児を助けなかったりする。私も日本の小児在宅医療の先駆者である前田浩利先生に聞いて驚いたのですが、イギリスの医師に「医療的ケア児を助けてもデバイスと共に生きるのはかわいそうである。それは幸せではない」と言われたことがあるそうです。前田先生は、その考えに大きな違和感を持ちました。日本では「目の前の子どもが助けられるんだったら何が何でも助ける。命そのものに価値があるんだ」という倫理観。ある時、前田先生は、医療的ケア児がデバイスを付けながら、ピョンピョン跳ねて楽しそうにしている動画をイギリスの学会で発表し、「あなたが“幸せになれない”と言った子どもが幸せそうに笑っている。これが日本の医療だ」とアピールしたそうです。

 

“生まれて良かった”と思える社会に

 

二宮: イギリスと日本とでは、医療的ケア児に対する考え方がだいぶ違うんですね。

駒崎: それだけ日本の周産期医療は発達しているんです。しかし、残念ながらイギリスの医師が言うことも一理ある。なぜかと言うと、テクノロジーが発達していても社会が追い付いていないからです。医療的ケア児を預かる場所がないというのは、その表れです。医療やテクノロジーが発達したならば、それと同じスピードで制度や文化も発達させないと、狭間に落ちて苦しむ人たちが出てきてしまう。私たちはそのタイムラグを早く埋めたくて、ヘレンという場所をつくった。要は“生まれてきて良かった”と思えるような社会にしないとダメだと思っています。

 

伊藤: 社会がついていかないということを解決するためには、法整備が必要になってきます。法が変わらないとできないことはたくさんあります。

駒崎: 私たちは現場で闘いながら、法律を変えることにも力を注いでいます。ヘレンの定員は1園あたり多くても15人。一部の家族だけ助けられても、世の中全体を助けることにはならない。2015年には障害児親子を取り巻く課題解決に向け、「全国医療的ケア児者支援協議会」を立ち上げました。そこから6年の歳月を経て、2021年9月、「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」(医療的ケア児支援法)が施行されるところまでこぎつけました。これにより「医療的ケア児」が法律上で明確に定義されました。医療的ケア児支援法は初めて国や地方自治体が医療的ケア児の支援を行う責務を負うことを明文化したものなんです。

 

二宮: 具体的には何が変わったのでしょうか?

駒崎: この法律が施行されることにより、これまで改正障害者総合支援法で各省庁および地方自治体の「努力義務」とされてきた医療的ケア児への支援が、「責務」に変わりました。日本全国に医療的ケア児の支援窓口ができ、相談に乗ってくれるようになります。ヘレンを始めた頃は、医療的ケア児に関する統計すら出せなかった。それが最近では保育園でも医療的ケア児の受け入れが進んできました。そのうちヘレンはいらなくなるかもしれませんね。

 

二宮: 極論を言えば、ヘレンがいらなくなった方が、いい社会に変わっているということですね。

駒崎: そうですね。他に医療的ケア児を受け入れていただけるところがあるなら大歓迎です。ヘレンは必要とされなくなる最後の時までは続けるつもりでいます。

 

伊藤: 日本では、年齢による体の衰えを薬などで先伸ばしにすることに目を向けられがちですが、高齢になって身体が動かなくなってからも楽しく暮らせる社会をつくることに力を入れた方がいい気がしますね。

駒崎: おっしゃる通りですね。障害の捉え方については医療モデル、社会モデルと2つの考え方があります。障害は人にあると考えるのが医療モデルです。だから治療しよう、と。一方で足が動かなかったとしても1ミリも困らない社会であれば、そもそも障害ではないという考え方が社会モデルです。例えば眼鏡。視力が0.1、0.2というのは、鎌倉時代だったら視覚障害があると言われていたかもしれない。それが現代では、眼鏡というものがあれば視力を矯正できる。障害は、社会側の環境設定に依る。そうであるならば環境側を変え、“障害なんてない。生きることに困らない”という社会に変えればいい。私たちは今後も“社会変革をしていきましょう”と呼びかけ、実行していきたいと考えています。

 

(後編につづく)

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駒崎弘樹(こまざき・ひろき)プロフィール>

認定NPO法人フローレンス会長。1979年、東京都出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、「地域の力によって病児保育問題を解決し、子育てと仕事を両立できる社会をつくりたい」と考え、2004年にNPO法人フローレンスを設立。日本初の「共済型・訪問型」の病児保育サービスを首都圏で開始、共働きやひとり親の子育て家庭をサポートする。2014年、医療的ケアのある子どもたちを中心とした障害児を専門的に預かる「障害児保育園ヘレン」を開園。翌年4月から、医療的ケアのある障害児の家においてマンツーマンで保育を行う「障害児訪問保育アニー」をスタート。2022年には、重度障害児・者のeスポーツ大会【フローレンス杯】アイ♡スポを開催した。著書に『「社会を変える」を仕事にする:社会起業家という生き方』(英治出版)、『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』(PHP新書)、『社会をちょっと変えてみた』(岩波書店)などがある。2022年1月、『政策企業家 「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』(ちくま新書)を上梓。

 

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