秀野由光(神奈川大学体育会水泳部/愛媛県松山市出身)最終回「今、掲げる目標はA代表」
2020年春、秀野由光(しゅうの・ゆみ)は生まれ育った愛媛県松山市を離れ、神奈川県横浜市にキャンパスを置く神奈川大学に入学した。高校生まで、追いかけていた姉・加奈はいない。「家族が好きだったので、最初は親兄弟と離れることも悲しかった」。それでも自らの殻を破るために下した決断だった。
秀野の人見知りという性格も、神奈川大が愛媛で通っていた五百木(いおき)スイミングクラブと雰囲気が似ており、大所帯の強豪校とは違ったことで馴染むのに、時間がかからなかった。
「人数が少ないのも大きかったです。同じ時間帯で練習するので、1人1人と会話もできる。周りの人たちが頑張っているので刺激にもなる。“ここを選んで良かった”と今でも思います」
この年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、3月にオリンピック・パラリンピックが延期になり、国内のスポーツ大会も中止・延期に見舞われていた。初の全国大会となったのが10月の日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)だ。秀野は1年生ながら100m背泳ぎで自己ベストの1分1秒41をマークして4位、200m背泳ぎでは6位に入った。2種目で入賞を果たし、28得点を獲得。神奈川大の女子総合初優勝に貢献した。
秀野の才能が芽吹き始めたのは、大学2年時だろう。当時のことを、彼女を指導する横山貴コーチが振り返る。
「インカレ前に郡山で合宿を行いました。その時のミーティング後、由光が浮かない顔をしていたんです。だから『どうした?』と声を掛けました」
横山によれば、彼女はチームから優勝を期待されることに違和感のようなものを覚えていたという。それは期待を込めた発破であったのかもしれないが、当時の秀野にとっては重荷になりかねなかった。
横山は秀野にこう声を掛けた。
「大学1年の時、100mで4位。3位に100分の1秒差で負けた。オレは今年表彰台でいいと思っているよ。だけどひとつだけ。当日は何が起きるかはわからない。優勝を狙える準備だけはしておこう」
その言葉が彼女の肩を幾ばくか軽くしたのだろう。11月に行われたインカレで100m背泳ぎを制し、初の全国制覇を成し遂げたのだ。それもジュニア時代から後塵を拝してきた東京オリンピック代表の酒井夏海(当時・東洋大学2年)に勝利してのもの(酒井は3位)。200m背泳ぎでは2位に入り、両種目共に前年を上回る成績を挙げた。さらには4×100mメドレーリレーのメンバーに選ばれ、4位入賞を果たした。出場3種目全てで高得点を獲得し、神奈川大の女子総合2連覇に導いたのだった。
大学3年時のインカレは、コロナに罹るという苦境に見舞われた。隔離期間中は当然、学校どころかプールに行けない。同期からダンベルを借り、懸垂用のバーを購入するなど、水中でのトレーニング不足を補った。「苦しかったけど、それでも負けたくなかった」と意地を見せ100m、200mと背泳ぎ2冠を達成した。チームのインカレ女子総合3連覇こそ中京大学に阻まれが、個人としては2種目制覇し、「タイムより順位にこだわった」と、強さを見せつけた。
プレッシャーとの付き合い方
大学2年時に初の全国制覇、3年時にはインカレ2冠。そしてFISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表選出と、順調にステップアップを遂げている秀野。彼女が見据える次なる目標は世界水泳出場だ。そのためには日本水泳連盟が設定した派遣標準記録をクリアし、上位に入る必要がある。秀野がターゲットとするのは、100mが派遣標準記録と並ぶ1分0秒59、200mが派遣標準記録よりも0秒28速い2分10秒80だ。現時点での彼女の自己ベストは100mが1分0秒84、200mは2分11秒92。100mが0秒21、200mは1秒12も縮めなければならない。「世界水泳の代表入りを目指すのは、私の水泳人生の中で初めて」という秀野は、さらに己の殻を破らなければいけない。
「心の底から思えていないことを口に出すことは無責任。周りも期待してしまう。実力以上の目標を言うことは、その期待に苦しむことになる」と考える彼女の決意の表れは、神奈川大のプールにあった。プール内の柱に貼り出されている水泳部員各自の目標に秀野は「A代表」と太く力強い文字(写真)でしたためている。
「やりたいことは、はっきりしているから、周りの人と自分のやっていることを信じてやるしかない。普段の練習でキツイと感じる時は、目標であるタイムを頭に思い浮かべながら泳いでいます」
昨年の日本選手権では、目標としていたFISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表に選出された。だが、50mは予選12位、100mは9位で、B決勝(予選9~16位)に回り、決勝には残れなかった。200mは予選で8位に入り、決勝進出。7位入賞を果たしたが、「すごく苦しかった」という。さらに東京オリンピックの選考会となった21年の日本選手権も100mと200mで決勝進出を目標にしながら準決勝敗退。「選手権では涙を流していることが多い。すごく怖いし、プレッシャーもあります」と振り返る。
それでも目標は「世界水泳の代表入り」からブレない。今年も昨年と同じFISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表を目標にしないのには、「過去の自分に負けたくない」との想いに依るものだろう。
「今年も同じ目標にするというと、去年と成長していないことになる。去年の自分より上にいたい。同じ目標を掲げていては成長できない」
自己ベストを着々と伸ばし、代表入りが見えるところまで成長したという自負もある。
「大学に入って、自分が心の底から成長したと思える。練習のタイムも上がり、試合のこなし方、試合へ向けたメンタルのコントロールも上手くなった。大学に入ったばかりの時は試合が怖くて、あまり人と会話できなかったり、笑えたりしなかった。今では試合前でもリラックスできるようになり、全国大会で地元の友だちに会った時、『変わったね』と言われました」
それだけプレッシャーとの付き合い方も、以前に比べれば上手くなったということである。大学1年時のインカレは「プレッシャーが嫌でインカレ決勝も泣いて行った。怖いイメージしかなかった」が、それから2年半経った今では、こう捉えられるようになっている。
「プレッシャーがあるということは、それだけみんなから期待されている。自分も応えようとしているから、プレッシャーに感じると思うんです。怖いし、苦しいけど、すごくありがたい。そう思ってやっています」
今年の日本選手権の競技会場となる東京・アクアティクスセンター。秀野はここでの日本選手権を2度経験している。「会場が広く、音が響く。大きい大会という雰囲気がして、すごく緊張感があります」。背泳ぎのスイマーは潜水中、ターン中以外は顔を水につけず天井に向ける。選手によっては、旗などを目印に泳ぐ者もいるという。
「天井の高さはあまり気になりませんが、自然の光があまり入ってこないのが私としては……。明るさは関係ないのですが、その光に自然の力を感じる。試合前は、木の前や植物の近くで深呼吸をするんです。そうやって自然のパワーを大事にしています」
果たして4月のアクアティクスセンターのプールで、秀野は名前の由来通りに「自由に光り輝く」ことができるのか――。それが実現できた時、日本背泳ぎ界に光を射す存在として、彼女の名が急浮上するだろう。
(おわり)
<秀野由光(しゅうの・ゆみ)プロフィール>
2001年4月22日、愛媛県松山市出身。4歳の時に五百木スイミングクラブで水泳を始める。垣生中学、新田高校時代には全国大会に出場。高校3年時には熊本での全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の女子100m背泳ぎで準優勝した。19年に神奈川大学に進学。2年時に日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の女子100m背泳ぎで優勝。チームの女子総合優勝に貢献した。3年時には女子100m背泳ぎ連覇を含む背泳ぎ2冠を達成。22年FISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表(大会は中止)。趣味はショッピングとネイル。身長159cm。
(文・写真/杉浦泰介)
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