日本人の国民性は、よく「熱しやすく冷めやすい」と言われるが、今回ばかりはそうではなさそうだ。WBCが終わって1週間が経つというのに、未だにお祭り騒ぎが続いている。この余熱は、ちょっとやそっとじゃ冷めそうにない。日本中がカタルシスに飢えていたのかもしれない。

 

 気の早い話で恐縮だが、今年の流行語大賞は「侍ジャパン」関連で決まりだろう。本紙が実施したアンケートではラーズ・ヌートバーが広めた「ペッパーミル」が候補ワードの1位になっていた。

 

 大晦日のNHK紅白歌合戦では栗山英樹監督と大谷翔平が審査員席に座っている光景が目に浮かぶ。誠にもってご同慶の至りである。

 

 日本にとっては、およそ考え得る最高の成果を収めた今大会、ひとつ不満があるとすれば、「最優秀監督賞」が設けられていなかったことだ。あれば間違いなく栗山英樹監督が選ばれていたはずだ。次回からは、ぜひ創設をお願いしたい。

 

 栗山が“魔術師”の異名を取った知将・三原脩の没後弟子であることは広く知られている。西鉄黄金期、大車輪の活躍をしたエースの稲尾和久は三原について、こう述べている。これは言ってみれば、魔術の種明かしだ。<三原監督は何事も強制せず、最終決定は選手にゆだねるという形を取った。しかし、この選手任せがくせ者で、実はいつも選択の余地をなくすような布石を打ってある。そうして自分の意に沿う方向に引っ張り込む。選手は自分の選んだ道だと思っているから、同じことをやるにも気持ちの乗りが違ってくる、という次第>(日経ビジネス人文庫『私の履歴書―プロ野球伝説の名将』)

 

 選手任せがくせ者、とは言い得て妙だ。決勝の米国戦の終盤に実現したダルビッシュ有→大谷翔平の“ドリームリレー”について聞かれた栗山は、「後ろにいけばいくほどプレッシャーがかかる。最後は、あの2人しか超えられないかな」と決勝戦直前に立てたプランだったことを明かした。

 

 とはいえ、急ごしらえの策ではない。準々決勝から準決勝、決勝とトーナメントの急斜面をのぼる過程で、彼らの力が必要なことは、はなからわかっていた。

 

 蛇足だが富士山で頂上までの8丁(約872メートル)を胸突き八丁と呼ぶ。登頂できるかどうかの、文字通りの正念場だ。さぁ、いざ胸突き八丁に差し掛かるという段になって、しかし栗山は「あえて僕の方から一切アプローチ」はしなかった。それは「最後はこの2人でいけないのかな」というイメージを、自らも含めた3人で共有し、さらには、その景色の解像度を高める時間が必要だったからだろう。「彼らが勝ちたいと思った時に、何かアプローチしてくれると思っていた…」

 

 ひとりでイメージを膨らませ、勝手に突っ走ったところで、振り向くと誰も付いてきてないようでは話にならない。栗山は時が満ちるのを「選択の余地をなくすような布石」を次々に打ちながら辛抱強く待った。その神がかり的な采配は「魔術」の域に達していた。

 

<この原稿は23年3月29日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから