28年前の出来事をまるで江戸時代のように感じていたこともあったのに、57歳にとっての30年前は、手を伸ばせば届きそうな感覚さえある。

 

 ただ、ずいぶんと遠くまできたのは間違いない。日本はW杯の常連となった。五輪出場を果たして感涙を流す日本人も激減した。

 

 Jリーグの景色も変わった。とりわけ感慨深いのは、外国人選手と日本人審判の関係である。

 

 ペナルティー・スポットに置かれたボールに唾を吐きかけたのはジーコだった。敵とやりあうのと同じぐらい、審判と衝突していたのはストイコビッチだった。彼らは、公然と日本の審判のレベルを批判し、わたしたちメディアも尻馬に乗った。いくら叩いたところで、彼らから反撃を食らう心配はない。監督や選手を批判するのは憚られても、審判が相手ならば安心だった。

 

 いまから思えば、天に唾吐く行為だったというしかない。審判のレベルは、その、国のサッカーのレベルに比例する。あの時代、多くの外国人選手が審判と衝突したのは、彼らが体験してきたレベルに、日本のサッカーが到達していないからだった。つまり、審判に向けて放たれた怒りは、同時に選手、メディアも含めた日本のサッカー界全体に向けられたものでもあったはず。そんなことにも気付かず、能天気に審判を批判していたのだから、まったくもって、お恥ずかしい限りである。

 

 ただ、日本人審判に噛みつく外国人選手の中には、単にジャッジの基準に苛立っただけというよりは、日本サッカーに対する侮蔑の念を滲ませた者もいた。

 

 わからないではない。わたしだって、NPBの試合をプロ野球のない国の人間が裁くとなれば、「大丈夫かよ」と思う。そして、信頼ではなく不信という眼鏡を通せば、たとえ正当な判定であっても歪んで見えるようになる。

 

 日本にプロサッカーがなかったことは、来日したすべての外国人選手が知っている。いわば、プロがアマチュアに裁かれる。判定に従順であるのは、決して簡単なことではない。

 

 だが、発足から30年が過ぎたJリーグでは、試合前から審判と戦っているような外国人選手はほぼ皆無になった。言い方を変えれば、日本人審判が、日本人であるがゆえに不信の目で見られる時代は完全に終わった。もちろん、審判の中には上手い人もいまひとつの人もいるが、それは欧州5大リーグでも同じこと。歪だった審判と外国人選手の関係は、世界水準に追いついたといえる。

 

 そうなった背景に、世界大会における日本代表の存在感や、欧州で活躍する日本人選手の存在があるのは間違いない。30年前とは違い、いまの日本サッカーは蔑視の対象ではなくなった。当然、「日本人だから」という理由で不信を抱く外国人選手も少なくなる。

 

 ただ、もう一つ忘れてはいけないのは、日本人審判たちのスキルアップである。30年前、多数派だったのは選手を頭ごなしに支配しようとするやり方だった。軽視する者と権力者たろうとする者。上手くいくはずがない。

 

 いまは違う。選手たちと協力していい試合をつくろうとする審判が多数派になった。これは、審判界全体としてそういう方向を目指さなければ実現しなかった現象だ。選手や監督ばかりが称賛されるJリーグ30周年だが、周囲の無理解の中、現状を変えるべく奮闘したであろう歴代の審判の方々にも、拍手を送りたい。

 

<この原稿は23年5月18日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから