20歳はもう若くない。サッカーの世界でそう言われ始めて久しい。

 

 確かに、欧州にせよ南米にせよ、20歳でプロ契約できていない選手が大成する可能性はほぼゼロに等しい。ほとんどの国のサッカー選手にとって、20歳という年齢は「プロになる」ではなく「プロを諦める」年齢でもある。

 

 とはいえ、日本の場合はちょっと話が違う。三笘がプロになったのは? 22歳だった。欧米では考えられない経緯を経て、彼は世界のスターダムを昇りつつある。肉体的にも精神的にも、日本の20歳は欧米の同年代に比べ、まだまだ幼い場合が多い。言い方を変えれば、伸びしろが残されている、ということでもある。

 

 アルゼンチンで開催されているU-20W杯に出場していた日本代表が1次リーグで敗退した。結果は1勝2敗。ちょっとしたツキさえあれば突破も十分可能な内容だったが、かといってセネガル、コロンビア、イスラエルを実力で凌駕している、というわけでもなかった。

 

 ただ、そんな日本にもグループ随一、いや出場国全体を見渡してもトップクラスと言える武器があった。

 

 セットプレーである。

 

 磨きがかかった、と期待されながらほぼほぼ不発に終わったW杯カタール大会と違い、今回の日本のセットプレーは素晴らしく洗練されていた。他の国がせいぜい1手、2手で完結するパターンが多い中、日本は4手先まで考えたセットプレーを作り上げていた。その美しさと多様性は、大会の中でも群を抜いていいた。

 

 そこが、ひっかかった。

 

 これが大人のW杯であれば、何の問題もないし、20歳以下という年齢を大人と考えるのであれば、これまた問題ない。

 

 だが、彼らを発展途上の段階と踏まえた場合、もとやるべきことがあったのでは、とわたしは思う。

 

 セットプレーとは、いわば劇薬である。流れや力関係とは関係なく、一発で相手を葬ることができる。だからこそ、実力で劣るチーム、苦境に立たされたチームほどセットプレーに磨きをかける。

 

 20歳以下の日本代表はセットプレーなどにこだわるべきではなかった、などと言いたいのではない。国際大会に臨む以上、武器として持っておきたい気持ちはよくわかる。

 

 ただ、まだ幼さの残る彼らには、まず内容で相手を凌駕する方法を目指してほしかった。

 

 デザインされたセットプレーは美しいし、破壊力もある。だが、それが効力を発揮するのは1回きり。覚えられてしまえば、武器は威力を喪失する。はっきり言えば、結果はつかめたとしても、個人やチームの実力向上にはつながらない。

 

 大人のチームならば、それも許されるしわたしも認める。では、アルゼンチンで戦ったのは大人だったのか。そこが、どうしてもひっかかる。

 

 緻密なセットプレーから得点を奪う。評価されるのは誰か。プレーを設計した人間であって、選手ではない。日本のセットプレーは素晴らしかった。では、誰がいたっけ? そんな会話がFIFAの技術院たちが交わしている様が容易に想像できる。

 

 引き分けでも突破が可能だったイスラエルとの最終戦。日本はリードを奪い、かつ相手に退場者が出た状況から逆転負けを喫した。ベンチも、選手も、あまりにも幼く、ナイーブだった。まだ劇薬に手を出すレベルでも段階でもなかった――。それが率直な印象である。

 

<この原稿は23年6月1日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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