技術は「教わる」ものではなく「盗む」もの――。昭和のプロ野球では、こうした言説が幅をきかせていた。

 

 その典型が400勝投手の金田正一と317勝投手の鈴木啓示の関係である。直球しか投げられなかった若き日の鈴木が、同じ左腕のカネやんに「カーブの投げ方を教えてもらえませんか?」と教えを乞うたところ、「バカたれ!ここはクラブ活動じゃないんだ。教えてもらいたかったらカネ持ってこい!」と一喝されたというのだ。「それで目が覚めた」と鈴木は名球会のユーチューブチャンネルで語っている。「この世界は教えてもらえる世界じゃない。与えてもらえる世界じゃない。自分で掴まんといかんのやと…」

 

 この手の逸話が、正直言って私は嫌いではない。プロ野球に限らず、プロとはそうあるべきものだし、そうあって欲しいという思いは、今も尾てい骨のように残っている。なぜなら、私自身がそういう教育を受けてきたからだ。

 

 しかし、どうやらそれは昭和のオールドスクールで学んだ価値であり美徳のようだ。世はナレッジシェアの時代である。技術や知識の独占は、業界の発展を妨げる、と警告を発する識者もいる。つくづく難しい時代になったものだと思案に暮れる。

 

 さる9日(日本時間10日)、ダルビッシュ有(パドレス)がロッキーズ戦でMLB通算100勝目を挙げ、日米通算200勝にあと7勝とした。今春のWBCでは、初日から代表合宿に参加し、後輩たちに惜し気もなく変化球の投げ方や握りを伝授したことで、“ダルビッシュ教授”なる称号も得た。後輩たちとフラットな関係を築き、兄貴風を吹かさないところが、彼の美点だろう。

 

 そう言えば、日本人選手トップのMLB通算123勝を挙げた野茂英雄も気前がよかった。現役の頃から“伝家の宝刀”フォークボールの握りについて聞かれると懇切丁寧に教えていた。カネやんのように「教えてもらいたかったらカネ持ってこい」とは、ただの一度も言わなかった。いや後輩ばかりではない。近鉄時代の先輩・吉井理人(千葉ロッテ監督)が海を渡る際には、「吉井さんのフォームにはフォークが合っている」と進言して、自身の専売特許である固定式フォーク(人指し指と中指でボールをはさみ、親指と薬指でロック。手首は振らない)の投げ方を伝授した。今年2月の沖縄・石垣島でのキャンプでは吉井の依頼で佐々木朗希にもアドバイスしていた。

 

 ダルビッシュと野茂の共通点として野球の「公益性への貢献」をあげたい。彼らは自分さえよければ、自分のチームさえよければ、自分の国の野球さえよければ、という狭い了見には目もくれない。彼らが蒔いた未来へのタネ、すなわちナレッジシェアの果実を手にするのは、昨日ボールを握ったばかりの、あるいは明日初めてボールを握るかもしれない無数の子供たちである。

 

<この原稿は23年6月14日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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