第257回「修行とスポーツ」
「エンデュランススポーツは苦行ではない」というお話を前回書かせていただいた。
苦しいことに取り組むのではなく、動くことで起こるカラダとココロの変化を楽しむことが大切。苦しいだけならば、そのやり方、考え方は間違っているということ。詳しくはこちら(第256回「エンデュランススポーツは苦行なのか」)。
ただ、苦行ではないけど、修行に似ている部分はなきにもあらずだと思っている。
以前、「千日回峰行」という厳しい修行をされた僧侶の塩沼亮潤さんとお話をさせていただく機会があった。この修行は険しい山中を1日48km、年間およそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続けるという想像を絶するものである。
詳しくは「千日回峰行」で検索していただくと出てくるが、間違いなくカラダにいいはずがない。もはや苦行も超えているような気がするが!? でもご本人は本当に穏やかで気さくな方。話しているだけで、こちらが落ち着いてくるような不思議なオーラを持っている。まあこれだけのことをやってきたから、余計なものがそぎ落とされたというべきなのかもしれない。
塩沼さん曰く「毎日にひたすら歩いていると、様々な感情や思いが湧いてきては消えていく。心のなかに陰と陽、不安と、そしてさまざまな思いが交錯して揺れ動いているんです」。あれ、これ僕たちが走っている感情と同じだ。走っているとき、前向きな思考も、後ろ向きな思考も、ぐるぐる回り、最終的にどうでもよくなる。
「これも修行なんでしょうか」という僕の問いに「近いですね」と笑っておられた。千日回峰行と比べるのはあまりに失礼ではあるが、ひたすら繰り返しの動作が続くと、カラダよりも、ココロの反応を感じることがある。これは決して強度が高過ぎたり、時間が短過ぎたりしては起きない。
エンデュランススポーツとの共通点
塩沼さんが企業家たちを対象に行ったワークセッションで、ひたすら無言で歩き続けるというのがあった。ペースはそれぞれでいいのだが、とにかくしゃべらず歩き続けるだけ。そう、ちょっとした修行体験をさせているのだが、これってジョギングと同じことではないかと思う。適度な運動強度で繰り返し動き続け、思考を続けることでマインドの変化が生まれる。
その昔、哲学者たちは街を歩きながら思考し、議論したという。
ただ、ひたすら机の前で思考するより、歩いているときの方が良い思考回路になることを体感していたのだろう。今では運動生理学や脳科学で、血流量の増加やエンドルフィン効果などが証明されており、適度な運動は間違いなく頭をクリアにしてくれる。まあこのあたりの説明は専門家に任せるとしよう。
ともあれ、僧侶の修行も哲学者の思考の仕方もエンデュランススポーツも、根元はかなり近いところにあるようだ。とするならば、ランニングはカラダではなく、ココロを整える時間であるという考えも間違っていないはずだ。
何も聞かず、何も話さず、ただ淡々と歩みを進める。苦しければペースを落とし、自分と向き合い継続する。自分自身と語り合う。忙しい毎日、常に人や情報に囲まれている毎日だからこそ、こんな時間が大切だと思う。
僕は僧侶になるつもりもないし、哲学者になるつもりもない(どちらもなれないけど!?)。
ただ、日々を気持ち良く過ごしたい。
そのために、今日もココロを整えるスポーツが生活の中にある。
まずは明日、一人でスタートしない?
白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月より東京都議会議員。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)。