中学の総体で県大会ベスト4となり、その立役者となった前田真宏の元には、愛媛県内外のいくつもの高校から誘いの声が掛けられた。実際に02年の選手権大会で初の全国制覇を成し遂げた高知・明徳義塾高や、熊本・有明高、愛媛・帝京第五高などの練習や試合を見に行ったりもした。どの高校もナイター設備や室内練習場が完備され、まさに野球をやる上では理想的な環境が用意されていた。

 だが、前田が選んだ道は甲子園に出場したことのない地元の三瓶高への進学だった。
「どの高校も素晴らしい環境にあって、正直“こういう所で野球がやれたら最高だろうな”という気持ちはありました。でも、やっぱり僕は地元が大好きだった。僕が小学、中学で頑張れたのも、地元の人の温かい応援があったからです。今でも地元の人たちに育ててもらったと感謝しています。よそで名をあげるよりも、“三瓶の前田”と言われたかった。だから、三瓶高を選びました」

 同学年には、後に阪神にドラフトで指名され、プロ入りを果たした松下圭太がいた。実は、前田と松下は中学時代、最大のライバルにあった。
 中学2年の秋の新人戦、前田の三瓶中と松下のいる伊方中が対戦した。前田は松下に対し、思い切ってインコースを攻めた。ボールは松下の顔付近に飛んでいった。
「二人とも負けん気が強かったので、もう少しでケンカになりそうになりました。もちろん、その試合では目も合わさなければ、全く口も利きませんでした」

 ところが、それから数カ月後、二人は高跳びの選手として借り出された陸上大会で再会し、話をするうちにすっかり打ち解け合ってしまった。
「それからは “あそこのピッチャーはどうだ”とか“あのチームはこうだよ”とか情報交換したりして、交流を深めていきました。でも、対戦する時はお互いに“勝負な”という感じで、対抗心を燃やしていましたね。親友でもあり、一番のライバルでもあったんです」

 中学最後の大会が終わり、松下は八幡浜高への進学がほぼ決まりかけていた。だが、中学時代から松下のバッティングに惚れ込んでいた前田は、松下に「三瓶高で一緒にやらないか」と誘った。松下は二つ返事で前田の誘いに応じた。彼もまた前田のピッチャーとしての才能を認めていたのだ。

 二人は、共に1年の時からベンチ入りを果たし、甲子園を目指して汗を流した。松下は着実にレベルアップし、3年時には不動の4番としてチームの大黒柱へと成長していった。
 一方、前田は2年まではピッチャーを任されていたが、3年ではショートへコンバートさせられた。打撃力と守備力が買われてのことだった。

「僕自身、ノックとか守備練習が大好きだったので、特に抵抗感はありませんでした。当時は、逆にショートにコンバートされて嬉しかったくらいです。マウンドで一人戦わなければいけないピッチャーに比べて、楽だなぁと。でも、慣れてくると、その楽さが面白くなくなってきました。最後の方は、やっぱりピッチャーをやりたいなぁと思っていましたね」

 3年の夏の地方大会、三瓶高は強豪校相手に奇跡的な躍進を遂げた。まずは初戦、春の県大会で4強入りを果たした今治北に前田の勝ち越しタイムリーなどで打ち勝ち、8−4で勝利した。
 続く2回戦は甲子園常連校の今治西高だった。「今度こそ、終わったな」。チームの誰もがそう思った。
「僕らは試合前から、負ける気満々でした(笑)。どうせ負けるなら、最後は楽しくやろう、とそれだけでした」
 だが、その諦めが吉と出た。「負けてはいけない」というプレッシャーが重くのしかかっていた今治西に対して、三瓶高は伸び伸びとプレーができた。結果は、4−2で三瓶高の勝利。一番驚いたのは、選手本人たちだった。
「まだ2回戦を突破しただけなのに、審判の『ゲームセット!』のコールを聞いた瞬間、みんな嬉しくて泣いていました。だって、それまで勝つどころか、ほとんどコールド負けするような相手に勝ってしまったんですから」

 立て続けに強豪校を倒し、迎えた3回戦の相手は大三島高。練習試合でも負けた記憶がないほど、三瓶高にとっては得意としているチームだった。
「楽勝だな」――自然に出てしまった油断は、結果として表れた。初回、守りのミスから2点を奪われると、3回、6回にも1点ずつを加えられ、4点を挙げられた。イニングが進むにつれ、三瓶ベンチは慌てた。慌てれば慌てるほど、相手の術中にはまり、7回までに3つの併殺を許し、8回に得た1死満塁のチャンスにも4、5番が連続三振に終わった。試合は0−4の完封負け。

 その試合、ショートで先発した前田は、8回からリリーフし、2イニングを完璧に抑えた。その時、テレビでは解説者がこんなことを言っていた。
<いいピッチャーですね。なぜ、三瓶はこの前田をもっと早く投げさせなかったのか不思議でなりませんよ>

「後でそのことを知った時、僕が先発していたら、結果は違っていたんじゃないか、と悔しい気持ちになりました」

 その年の秋、親友であり最大のライバルであった松下は、ドラフトで阪神に指名され、念願のプロ入りを果たした。
「待ってろよ。オレも必ずプロにいくからな」――。卒業式の日、前田は松下にそう告げた。
「ずっと一緒にやってきた松下が指名されたことで、初めてプロを身近に感じました。よし、オレも頑張って絶対にプロにいくぞ、と思いましたね」
 いつか、NPBの舞台で対戦することを誓い合い、二人はそれぞれの道を歩き出した。

 それから3年後の2005年、松下は阪神から戦力外通告を受け、現役を引退した。一度も1軍ベンチに入ることはできなかった。今はスポーツ用品メーカー・ハタケヤマでグローブ職人として働いている。
 前田は今も松下と連絡を取り合っている。いつかNPB入りした前田のグローブを松下が作ること。これが、今の二人の夢である。


前田真宏(まえだ・まさひろ)プロフィール
1984年6月13日、愛媛県西予市(旧三瓶町)出身。小学4年からソフトボールを始め、エースで4番として活躍。中学では軟式野球部に所属し、全国中学校総合体育大会愛媛県大会ではエースとしてチームをベスト4進出に導いた。県立三瓶高校卒業後、徳山大学に進学。2年時にはレギュラーを獲得するも、中退して四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツに入団。2007年より北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBCに所属。176センチ、70キロ。右投右打。










(斎藤寿子)
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