投手にとって最高の良薬は白星である。しかも678日ぶりとあらば、喜びもひとしおだろう。

 

 さる23日(日本時間24日)、ツインズの前田健太がタイガース戦に先発し、今季初勝利をあげた。3対0とリードした5回2死一、二塁。勝利投手目前で交代を告げにきた監督代行のジェイス・ティングラーに「No! Give me one more please」と直訴し、続投した。

 

 リリーフのジョバニ・モランは外野のブルペンから出かかっていた。マエケンはザック・マッキンストリーをフォークで空振り三振に切って取り、右手で小さくガッツポーズをつくった。

 

 組織論的に言えば「服務規律違反」にも問われかねない問題行動である。しかし、経過よりも結果が優先されるスポーツの世界において、マエケンの取った行動は断罪されない。むしろ美談として扱われる。トミー・ジョン手術を経ての苦難の道のり。復帰への飽くなき執念が白星を引き寄せたと……。

 

 この場面、無事に抑えたからよかったものの、もし打たれていたら、マエケンの立場は微妙なものになっていただろう。同様にティングラーの立場も。交代を告げに行って追い返され、挙句、打たれたとあっては面目丸潰れである。

 

 言うまでもなく続投か交代かを決めるのは監督である。選手に、その権限はない。本来、マウンドでモメること自体おかしいのだが、ボールを無理やり奪い取ろうとする者、投手の剣幕に押されてすごすごと引き下がる者、続投を訴え出る者、中には交代を嫌がってボールを隠そうとする者もいるから、プロ野球の世界は面妖だ。

 

 現役時代の星野仙一は、巨人戦になると目の色を変えて打者に向かっていった。早めに打たれ、投手コーチが交代を告げにきても、そっぽを向き、なかなかボールを渡そうとしなかった。

 

 他方で、中日の元投手コーチから、こんな話を聞いた。「代えてくれとマウンドから合図を送るので代えたら、ベンチに戻るなりグラブを投げつけた。こっちはいい面の皮だよ」

 

 交代を迫る相手が若手や実績に乏しい投手なら問題は生じない。だが生え抜きのクローザーとなると、これは一騒動だ。

 

 1973年のパ・リーグプレーオフ。南海対阪急の第5戦は、9回表が終わり2対0で南海がリード。阪急が1点返し、2死ながら打席には代打の切り札・高井保弘。選手兼監督の野村克也は守護神の佐藤道郎に告げる。「おい、ひとりだけ助けてもらえ」。ノムさんの視線の先には、球の速い江本孟紀。これに佐藤は反駁する。「最後まで投げさせてくれ!」。胴上げ投手がかかっているのだ。「これは監督命令じゃ!」。最後は三振で大団円。「あれは会心のゲームだった」とノムさんは語っていた。

 

 マウンドとはプライドの高い男たちの思惑が複雑にからみ合い、時に衝突する“人間交差点”の謂である。彼らの表情や態度に目を凝らすのも一興だ。

 

<この原稿は23年6月28日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから