先月は球界に訃報が続きました。12日に“フォークの神様”こと杉下茂さんが、16日には“精密機械”と呼ばれた北別府学さんが亡くなりました。いずれもNPB通算200勝を超える大投手。多くのプロ野球選手の憧れ、見本となったであろうお2人のご冥福をお祈りします。

 

投手王国の中心

 ぺーさんこと北別府さんは、広島カープ時代にお世話になった大先輩です。投手分業制が確立された現代では珍しくなってきた先発完投型のピッチャー。ぺーさんは他球団の野手とは話をしないタイプでした。最近の選手は日本代表の活動などで他球団の選手とも球場内外で仲の良い様子が見られますが、ぺーさんは仲良くなってしまうと厳しいコースを付けないと考えたのかもしれません。そういったところにもプロ意識の高さが垣間見えました。

 

 球速145km前後のストレートに縦のカーブ、フォーク、スライダー、シュートと豊富な変化球を織り交ぜるピッチングスタイルでした。そして何と言っても、「ボール半個分をコントロール」すると言われた抜群の制球力が武器です。よく“1球に泣く”という表現がありますが、ここぞの場面で抑えるのがエース。それがまさしくぺーさんでした。投手王国を築いたカープの中心的存在でしたね。

 

 私は何度か食事に連れて行ってもらうこともあり、かわいがっていただきました。完投した日の夜は酔いが回るのが早く、カラオケで好きな演歌を歌っていましたね。自分がストライクだと思った球を、ボールとジャッジされれば、マウンド上でアンパイアをにらみつけることもあったほど、自分にも周りにも厳しい人でした。ただマウンドを降りれば優しい先輩。私のキャラクターもあるかもしれませんが、軽口を叩いても許してくれる懐の深い人でした。

 

 ある試合のことを思い出します。ぺーさんが先発で、私がライトを守った甲子園での阪神戦。私がフライを落としてしまったことがありました。チェンジになってベンチへ帰った際、「すみませんでした」と謝ると、「OK!」と一言。ぺーさんとは気持ちで通じ合えていた気がします。おそらく、その「OK」との言葉には“西田は打って返してくれれば、いいんだよ”との思いが込められていた、と。

 

 実際にぺーさんが登板していた時は、私も打っていた記憶があります。84年の開幕戦のサヨナラ打しかり、以前当コラムでお話しさせていただいたペーさんが200勝を達成した日(92年7月13日)の勝ち越し打もしかりです。私が代打起用中心だった頃は、ぺーさんに代わって打席に立たせていただいたこともありました。

 

 憧れの存在

 さて、海の向こうに目を向ければ、今年も大谷翔平選手の活躍が目立ちます。7月1日(日本時間)時点で、30本塁打、67打点はアメリカン・リーグトップ。それも投手との二刀流をしながらです。この活躍も驚きではなくなってきてきましたが、大谷選手の活躍は日本人として誇らしい。私も毎試合が楽しみで、自然と追いかけてしまう。メジャーリーグで活躍する彼は、日米問わず子どもたちの憧れの存在。子どもたちには彼を追いかけて、一流アスリートを目指してほしいですね。

 

 私自身、小学生の頃は王貞治さんと長嶋茂雄さんのON、そのライバルであった村山実さんに憧れました。特に王さんは今の大谷選手と同じように周囲からの多大な期待を受けながら、それに応えるようにホームランを量産していた。ホームランを打ってほしいところで打ってくれる。これほど頼れるバッターはなかなかいませんよ。高校時代は、ピート・ローズの打撃フォームを練習で真似たこともあります。大学生は田尾(安志)さん、掛布(雅之)さんに憧れました。

 

 思い出話は尽きませんが、今月はこのへんで。セガサミー野球部は、19日に都市対抗野球の初戦を迎えます。大会6日目の第3試合、ナイター(18時開始予定)で三菱重工岡崎と対戦します。本大会には補強選手として投手(JPアセット証券・門間滉介)、内野手(鷲宮製作所・橋本顕太郎)、外野手(NTT東日本・内山京祐)の3人が加わりました。ぜひ応援よろしくお願いします!

 

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