この1カ月強の間に、世界ボクシング界にとって重要な意味を持つ2つのタイトルマッチが行なわれた。
 まずは5月5日、ここ10年間で最大規模の興行となったWBAジュニアミドル級タイトル戦、フロイド・メイウェザー対オスカー・デラホーヤがラスベガスで華々しく挙行された。そして先週末の6月9日には、WBAウェルター級タイトル戦、ミゲル・コット対ザブ・ジュダーが、マジソンスクウェア・ガーデンを大いに湧かせた。
(写真:プエルトリコの新英雄ミゲル・コットの成長でボクシング界にも再び希望が見えて来た)
 東西のメッカで行なわれたこの2試合の結果、今後のボクシング界の向かう方向がほんのりと見えてきた。
 メイウェザーが大舞台で安全運転に徹したときには、この先に待ち受ける暗黒時代の予兆を感じたものは多かったに違いない。だがその後に続いたコットの躍進で、新たな希望も再び浮かび上がって来たのである。

(写真:メイウェザー(写真)対デラホーヤ戦はハイレベルではあったが、観ているものを興奮させる試合ではなかった)
 PPVの売り上げでは史上最高を記録したメイウェザー対デラホーヤ戦は、残念ながら悪い意味で予想通りの内容、結果に終わった。
 序盤からペースの奪い合いが続き、地力に勝るメイウェザーが少しずつポイントを稼いでいった。技術的にハイレベルではあったが、山場に欠ける展開に一般的な希求力があったとは到底言い難い。盛大な前評判に煽られて55ドル(PPV料金)を支払った視聴者の大半は、随分とがっかりさせられてしまったのではないだろうか。
 責任の大半は、安全運転での判定勝利を狙ったメイウェザーにある。あれが彼本来のボクシングだというのは分かっている。例えアグレッシブに出て行ったとしても、体格に勝るデラホーヤをストップするのは難しかっただろう。

 だがそうだとしても、これだけ世界中の注目を集めたファイトで、しかも試合前に「彼のキャリアを終わらせる」と息巻いていたのなら、終盤にはあえてドラマを作りに行くべきだったと思う。それこそが現役を代表する(と自負する)ボクサーの義務ではなかったか。
 一方のデラホーヤは、「健闘した」という声も多い。確かに、ディフェンスを固めながらプレッシャーをかけ続ける戦法はある意味で有効ではあった。あれほどスピード差のある相手にそれを続けることは、並大抵の集中力では不可能。デラホーヤはこの試合で改めて類い稀な適応能力を印象づけたといえる。

 ただその一方で、デラホーヤはこの戦い方で、メイウェザーから12ラウンド中6ラウンド以上を奪えると本気で考えていたのだろうか? スピード、技術に勝る天才から勝利をもぎとるためには、例えば序盤からの徹底したボディ打ちのような思い切ったプランが不可欠だっただろう。
 しかしデラホーヤは、中間距離での我慢比べを選択した。正直言って筆者には、あのスタイルは「勝つため」よりも「一方的に負けないため」のものに見えた。
 業界内でのこの試合の隠れたキャッチフレーズは、「メイウェザーとデラホーヤはボクシングを救えるか?」だった。だが、その問いの答えは一目瞭然。最後のドル箱カードが盛り上がらぬまま終わり、メイウェザーは世界的なヒーローに飛躍できなかった。行く手には、さらなる魅力的な対戦相手は見えてこない。
 試合後、当のデラホーヤまでもが「ボクシングは苦しい時代を迎えるだろう」と語った。この対戦で駒を使い果たしたボクシング界には、これまで以上の沈滞ムードが漂ってしまったのである。

(写真:コット対ジュダー戦が行なわれたマジソンスクウェア・ガーデンは近年稀に見る盛り上がりに包まれた)
 しかしそれから一ヶ月後、「ボクシングファンはこれを待っていた」と叫びたくなるような好試合がニューヨークで展開された。
 プエルトリコ人の王者ミゲル・コットと、地元ブルックリン出身の挑戦者ザブ・ジュダーが真っ向からしのぎを削ったこの対戦。プエルトリカンパレードの最中に試合が組まれたこともあり、「ザ・ガーデン」は2万人以上の大観衆で埋まった。その目前で、2人はひたすらにハードな打ち合いを続けた。

 結果はコットが11ラウンドでTKO勝利。ジュダーは試合序盤のローブローによるダメージを敗因に挙げたが、それも体の悪い言い訳にしか思えない。それほどに、この日にコットが示した成長ぶりは見事だった。
 ジュニアウェルター級からウェルター級に転級してからもう3戦目を迎え、本格的にウェルター級の身体になったのだろう。プレッシャーの掛け方が抜群に上手くなり、それを1試合通じて続けるスタミナもこの日のコットは備えていた。

 ジュダーも決して不調には見えなかったが、それを馬力でねじ伏せたパフォーマンスは見所たっぷり。また、これも増量が影響しているのだろうか、パンチを貰った際の危なっかしさがコットから消えていた。それゆえに、確かにジュダーが攻勢の場面もあったが、この試合はコットが支配した圧勝だったと考える。
「ミゲルが勝者としてコールされたとき、デラホーヤがフリオ・セサール・チャベスを初めて下した試合のことを思い出したよ。メガファイトでの優れたパフォーマンスは、新たなスーパースターを誕生させる。この試合はミゲルにとってそんな意味合いを持っていたんだ」
 コットのプロモーター、トッド・ブオーフ氏は試合後にそう語った。

 その言葉通り、しばらく消化不良の気分ばかりを味わって来たボクシングファンも、この日はスカッとした後味に浸れたに違いない。筆者自身も、取材に訪れた試合では久々に良い後味で会場を後にできた。こんなのはいつ以来か、と考えてみたら……それは、コットの先輩ティト・トリニダードが鮮やかに躍動していた時代以来、本当に久方ぶりの感慨だったのだ。

 余りに対照的な内容に終わったこの2試合のあと、行く手には新たなビッグファイトの青写真が明確に浮かんで来ている。そう、メイウェザー対コットの直接対決である。
 現役最速の黒人スピードスターに、確実にエネルギーを増したラテンのブルトーザーが挑む。ラッシュ力、タフネスを向上させ、標準以上のパンチ力も備えたプエルトリコ人は、メイウェザーを苦しめるスタイルを持っているように思える。デラホーヤのプレッシャーがやや中途半端だったのに比べ、コットはそれにあとワンプッシュを加える馬力を持っているのだ。

 米国内の「WHCR」というFMラジオ局でスポーツトークショウを担当している友人DJは、つい先週ボクシングライター6人を番組に招き、早くもメイウェザー対コット戦の予想座談会を行なったという。そしてその結果は、メイウェザー有利と語った者が3人、コット支持派も3人。これはあくまで一部の意見に過ぎないが、コットが米国内でそれだけ急速に評価を上げて来ていることが分かってもらえるだろう。
 個人的にも、約1ヶ月半前まではメイウェザーがコットを簡単にアウトボックスするだろうと考えていた。スピード差は歴然で、殆どミスマッチに終わってしまうだろうと。

 だが6月9日のパフォーマンスを見て、考えがやや変わった部分もある。コットが有利だとは言わない。しかしいまの彼は、かつてホセ・ルイス・カスティーヨが成し遂げたのと同じ形で、メイウェザーを追いつめることはできるのではないか。また、メイウェザーがしばらく眠らせている感のある潜在能力を、ディエゴ・コラレス戦以来久々に引き出してあげられるのではないか。
 そして何より、肩すかしに終わってしまった5月5日の大一番と違い、メイウェザー対コット戦はボクシング界が渇望しているドラマチックな内容、結末を提供してくれるのではないだろうか。

 もっともメイウェザー側は、「コットなどまだフロイドと同じレベルにはいない」とこの試合の早期実現を否定している。確かに現時点で、実力はともかく知名度では2人の差は歴然。この2人がすぐに激突しても、それほどのビッグイベントにはならないだろう。それをよく心得てか、コットは今後について、リッキー・ハットン、シュガー・シェーン・モズリー、ホセ・ルイス・カスティーヨ、アントニオ・マルガリートら強豪との対戦の可能性を示唆している。もしこの内の2人ほどを相手に、コットが好内容で勝利を飾れたなら……。
(写真:イギリスの雄リッキー・ハットンとコットのフレッシュな対決も実現すれば盛り上がりそうだ)

 このコラムの内容はまだ時期尚早すぎるのかもしれない。コットのメガファイトへの準備が整うのは、早くても来年頭。それまでにメイウェザーは本当に引退してしまうかもしれないし、誰か他の新星が現れるかもしれない。だが、少々先物買いをしたくなるほど、先週末のコットの成長ぶりとマジソンスクウェア・ガーデンの興奮ぶりは素晴らしかった。
 さらに格を上げたラテンの英雄コットが、力を出し惜しみする現役最強王者メイウェザーを、世界中の見守る前で追いつめる姿を見てみたい。そのとき、メイウェザーがどうやって危機を抜け出すかを見てみたい。
 そのとき、ボクシングは本当に「救われる」かもしれないのだ。


杉浦 大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト Nowhere, now here
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