プロ野球オールスターが終わり、ペナントレースは後半戦に突入しました。まずはセ・リーグに目をむけましょう。阪神は5月に24戦19勝5敗と大きく貯金を作ったのは好材料です。阪神を追う広島は秋山翔吾らを中心に粘り強く、打線がつながっています。DeNAは若干息切れしている感が否めない。ここでグッと踏ん張らないと下位の球団とともに3位を争うことになるかも……。

 

 現在4位の巨人は秋広優人が才能の片りんを見せてチームを牽引しています。5位ヤクルトは村上宗隆が調子を上げてきました。巨人との差は5.5(7/24現在)ですが、ヤクルトまでなら何とか、Aクラスに滑り込めるチャンスはありそうです。

 

 パ・リーグはオリックスが首位を快走しています。このまま突っ走るのではないでしょうか。その他は連勝、連敗がたくさんあるのが特徴です。各球団、5、6、7連勝くらいして調子が良いなと思うと、勢いがかげると途端に連敗。順位が一個上のチームが連敗しているタイミングと、自分が応援している球団が上昇気流に乗るタイミングが重なれば、一気にひっくり返ります。パ・リーグにはこうしたケースがよくあります。まるでジェットコースターのようですね。

 

 1つの走塁ミス

 

 全体を総括し、後半戦の展望を語ったところで、ある試合のワンプレーにフォーカスしましょう。7月22日、ヤクルト対阪神戦(神宮球場)で非常に勿体ないシーンがありました。スコアは3対6で阪神が追う展開。9回表、阪神の攻撃、一死一、二塁。一塁ランナー・佐藤輝明、二塁ランナー・大山悠輔。7番・梅野隆太郎が放った打球はライトへ。外野手の頭を越えるかどうかの判断に迷った大山はハーフウェイから一度、タッチアップに備えて二塁へ戻りました。しかし、ライトの頭上を打球が越え、二、三塁間を行ったり来たりしていた大山は三塁へ向かい、そこでストップ。ライトオーバーの当たりながらひとりも生還できませんでした。このあと、後続が抑えられ3対6のまま阪神が敗れました。

 

 この場面、元守備走塁コーチとして語れることがいくつかあります。まず、タッチアップに備えて二塁に戻った大山について。仮にライトフライからタッチアップしたとして、二死一、三塁。二死だと三塁に進塁したとしても、あまり意味を成しません。それならばハーフウェイに位置取り、フライを捕られたことを確認してから落ち着いてセカンドに戻ればいい。結果的に打球はライトオーバーだったので本来ならば(ハーフウェイ待機ならば)1点を返し、なお一死二、三塁のチャンスを作れました。「ランナーが一、二塁。打球が外野の頭を越えたのに、1点も入らないとは節操ないわぁ」と私は思いましたが、岡田彰布監督も試合後、「びっくりしたわ」と嘆いていたようです。

 

 次にハーフウェイについて。一口にハーフウェイといっても選手によってポジション取りは多少、異なります。大山の走力を考慮するならばアンツーカーから両足が出るくらいに位置取り、体重は前足(三塁方向側の足)に乗せます。ライトが捕球するかオーバーするかのタイミングでポンポンとリズムをとりながらシャッフル(三塁方向へカニ歩きのようにステップして進む)し、3つ目の“ポン”で前足にグッと体重をかけます。打球がオーバーしたらそのまま三塁へ走り、大山の走力を考えてもホームを狙えたでしょう。外野手が捕球するかできないかの一瞬のタイミング。この時、ランナーはどちらの足に体重を乗せているかで塁上のアウトやセーフ、そしてサードを蹴れるかが決まるんです。

 

 大山の場合、おそらく走力に自信がないゆえ、懸命に戻ろうとしてしまったのかもしれません。足に自信のない野手ほど元の塁にガムシャラに戻ろうとするものです。足の遅い野手こそ「この状況(一死)はハーフウェイか、タッチアップか」「どちらの足に、どのタイミングで体重を乗せるのか」といった走塁セオリーを学ぶべき。足の速い野手は少々判断をミスしても(自分の足の速さで)カバーできてしまうから。

 

 走塁がうまかった江藤智、中村剛也

 

 トップスピードが可もなく不可もなく……。それでも“この選手、(テクニック的に)走塁上手いなぁ”と感心したのは広島から巨人に移籍してきた江藤智でした。18歳で広島に入団し、しっかりと走塁練習をやってきたのか。もしくは自分は走らなくても、走塁練習をよく観察していたからでしょうか。彼は先述した走塁の基礎がキチッとできていました。ある日、数人で話し込んでいた際、何かの拍子に「智は走塁、うまいもんな」と私が言うと本人から「まぁ、みんなやってますから」とサラッとしたコメントが返ってきました。江藤クラスの選手からすれば“できて当たり前です”といったようでした。

 

 また、西武の中村剛也はそこそこ足が速い。体型とは裏腹な感じがかえって足の速さを有名にさせました(笑)。中村の素晴らしい点。それは生まれ持った足の速さに甘えるだけでなく、ピッチャーをよく観察していました。若い頃はモーションを盗んで三盗を決めることもありました。もちろん、相手バッテリーが警戒していないことも手伝ってのものですが、それでもチャンスを広げていることに違いはありません。

 

“僕は打って走者を還す人”と変な自尊心は捨てて、各球団のスラッガーたちには研究、観察、練習を積んで走塁の技術をぜひ磨いてほしい。ペナントレースはピリピリした展開が増える後半戦。8月以降、走塁時の細かな判断と技術が試合の流れや勝敗を左右します。ひいては優勝できるか否か、Aクラスに滑り込めるか否かをわけると言っても過言ではないでしょう。

 

 最後に、私からお知らせがあります。近日、YouTubeに初出演します。「プロ野球OBクラブ」チャンネルの取材を受け、私の生い立ちや巨人入団時の話について語っています。動画の公開日については私も編集部からの連絡を待っているのですがぜひ、同チャンネルのチェックもよろしくお願いします。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良)を務め、無事"完走"を果たした。


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