櫻井つぐみ(育英大学レスリング部/高知県香南市出身)第2回「コツコツ、粘り強く」
高知県香南市生まれの櫻井つぐみ(現・育英大学4年)は3歳でレスリングを始めた。地元はレスリングが盛んだったわけではない。2004年に入団した高知レスリングクラブは今でこそ全国大会優勝者を多数輩出しているが、当時は父・優史が創設したばかりの新設クラブだった。本人の記憶はこうだ。
「最初は父の指導も厳しくなく、近所の子と一緒にボール遊びとかから始まりました」
父・優史は香川県出身、レスリングで高松北高校時代に国民体育大会優勝、群馬大学でも東日本学生春季新人選手権を制した。全日本学生選手権3位入賞の実績を持つ。大学卒業後、教員として高知に移り住み、同県代表として国体にも出場した。その高知でジュニア世代を育成するためにクラブを立ち上げたのだ。
「ちょうど自分がクラブを立ち上げたのがきっかけで、“我が子も”という感じで入団させました。娘は1期生。ボール遊びやマット運動から始めました」
今では世界女王にまで輝く櫻井だが、実は全国大会優勝も1学年下の妹・はなの(現・育英大3年)に先を越された。
「一緒に大会に出ても妹だけが金メダルを持って帰って来て、私は獲れなかった。昔は悔しい気持ちがそれほど強くなく、あまり向上心もありませんでした」
周囲からは、“はなのちゃんのお姉ちゃん”と位置付けられていた。本人も「悪い意味で開き直っていたような気がします」と受け入れていた感もあった。
櫻井に教えたことをスポンジのように吸収する力や、教えなくとも身体が自然と動くようなセンスはなかったかもしれない。だが、彼女はコツコツ、積み重ねることを苦にしない。
「小さい時からそういうタイプ。自分はコツコツやらないと覚えられない。(努力をすることが)嫌になる時もありますが、そうなったとしても、自分はコツコツやり続けることができる方だと思います」
その頃の指導者である父・優史の視点はこうだ。
「本当に普通の子でした。走っても速くないですし、運動神経が特別いいわけでもない。気持ちがすごく強いというわけでもありませんでした。同時期に始めた同学年の子と比べても技を覚えるが遅かった。ただ、今考えると、粘り強さがすごかった。いろいろと覚えるのが遅くても、たとえ試合で結果が出なくても、『練習が嫌だ』とも言わず、コツコツと頑張り続けられるのは昔から変わりません」
実り始めた努力
それもまたひとつの才能だろう。櫻井のコツコツ、粘り強くの姿勢はこんなところにも表れている。小学生時はレスリングと並行して書道を習っていた。“硬筆の先生になりたい”と思っていた時期もあったという。
「書道教室は午後3時から6時までの3時間。その時間内で3枚くらいを目標に書いているんですが、ほとんどの子は1時間で3枚書ききって帰っていました。私は3時間ずっと書き続けていました」
父・優史によれば、「硬筆でも毛筆でも県で賞をもらったことがあります」と、彼女のコツコツは実を結んだ。
努力が実ったのはレスリングも同じだ。初めての全国制覇は小学4年の冬、東京で行われた2012年全国少年少女選抜選手権の女子4年28kg級。
「僅差で粘って勝ちました。“自分も優勝できるんだ”と思えてうれしかった。父と一緒に写真を撮り、褒められたことを覚えています」
勝つ喜びを知った櫻井は、徐々に頭角を現し始める。小学5年時に全国少年少女選手権(女子5年28kg級)と全国少年少女選抜選手権(女子5年30kg級)の2冠を達成。6年時には全日本女子オープン選手権小学校5・6年の部(33kg級)を制し、全国少年少女選抜選手権(女子6年33kg級)は3連覇を達成した。
試合内容も、コツコツ粘り強くだ。「圧倒的に勝つというよりは、粘り強く戦って、最後の最後で逆転して勝つパターンが多かったですね」(父・優史)
野市小から進学した野市中学では相撲部に入部した。高知レスリングクラブの練習がない日は、男子部員と一緒に稽古を積むことで腕力や足腰を鍛えた。相撲部員としては大会に出なかったものの、「相手にプレッシャーをかけるレスリングは相撲で習ったことが生きていると思います」と費やした時間を無駄にしなかった。
中学では全国中学選手権3連覇(1年=34kg級、2年=37kg級、3年=40kg級)、世界カテッド選手権(40㎏級)も制するなど、ほとんど負けなかった。飛ぶ鳥を落とす勢いの櫻井だが、高知南高(現・高知国際高)に進むと、その翼がもがれたかのように失速してしまうのだった――。
<櫻井つぐみ(さくらい・つぐみ)プロフィール>
(文・写真/杉浦泰介)