櫻井つぐみ(育英大学レスリング部/高知県香南市出身)第3回「親子鷹の苦悩」
2017年春、高知南高校(現・高知国際高)に入学した櫻井つぐみ(現・育英大学4年)は、競技を始めた3歳から指導を受ける父・優史が監督を務める同校レスリング部の門を叩いた。全国中学選手権3連覇(1年=34kg級、2年=37kg級、3年=40kg級)、世界カテッド選手権(40㎏級)も優勝するなど、野市中学時代は公式戦でほとんど負けなかった櫻井だが、「高校時代は全然ダメだった」と振り返る。
高校1年時にアジア・カデット選手権(46kg級)を制し、全日本女子オープン選手権(55kg級)は2年時から連覇したものの、全国高校総合体育大会(インターハイ)は一度も優勝できなかった。表彰台にすら上がれない時期もあった。
その原因とは――。中学時代に勝ち続けたことで驕りが生まれたのか、と問うと父・優史は否定した。
「中学で勝てるようになり、中3で世界に出たりと、新しい刺激も入ってきていました。勝つことによって驕ることはなかったと思います。ただ高校に入ってからは体重調整で苦労しました。身体が成長していく中、体重を絞ったりしなければならなかった。私がうまく階級を選択できなかったことで、結果が出なかったのかなと思います」
こんはずでは……。ボタンの掛け違いは、2人の親子関係にもあった。父であり、監督でもある。スポーツにおける親子鷹としては珍しくないケースだ。しかし、高校生時の櫻井に関して言えば、ギクシャクしていた。本人曰く「反抗期」だった。
「高校時代は全然勝てないし、表彰台にすらも乗れない時期がありました。家から学校まで遠く、父に車で送ってもらっていました。ただ反抗期の頃はケンカして、車に乗らず自転車で帰ることもありました」
櫻井によれば、「せめてもの反抗」で返事をしないこともあったという。父・優史も「私の言うことを素直に聞かないこともよくありました」と口にする。親子関係としては、あり得ることかもしれないが、こと指導者と選手という関係において健全な状態とは言えなかった。
高校2年時から群馬県の育英大学へ出稽古に通い始めたことが彼女のターニングポイントと言っていい。育英大監督の柳川美磨の父親(益美。現・NPO法人群大クラブ代表)は、櫻井の父・優史にとっては群馬大学時代の恩師。柳川とは学生時代から友人関係にある。その柳川にも当時の櫻井親子の“微妙な”関係は伝わっていた。
「あからさまに目を合わせない感じでしたね。元々は素直な子なんですが、うまく噛み合っていなかった。お父さんと指導者という関係で、2人とも悩んでいたんだと思います。それが原因でスランプに陥っていました」
スランプ脱出のきっかけ
これまでとは違った環境に触れたことで、リフレッシュに繋がったのではないか。さらに言えば練習に集中できるようになったとも言える。「練習が楽しかった」と櫻井。娘の充実した様子に目を細めたのは、父・優史だった。
「それまでは練習に対する気持ち、不安定さがありました。そういうダメなところはダメときちんと指導してくれる。日々の練習に取り組む姿勢、気持ちの安定が目に見えて変わってきました」
沈んでいた彼女が浮上するきっかけは、これだけではない。まずは高校2年時のインターハイ。高知レスリングクラブからの幼馴染で、切磋琢磨してきた同級生の清岡幸大郎(現・日本体育大4年)が男子55kg級で優勝したのだ。自身は女子50kg級で2回戦負け。表彰台の頂点に立つ“ライバル”を見て、涙が溢れてきた。
「高知県勢初のインターハイ優勝だったので、とても盛り上がっていました。それなのに自分は表彰式で、(スタンドで)座っているだけ。その時に“変わらなきゃいけない”と思ったんです」
父・優史の喝も効いた。父の述懐――。
「高2の秋だったと思います。あまりやる気のない感じで練習をしていたので、『もうオマエの面倒を見れん』と1週間くらい練習に行かなかったことがあったんです。練習は行きませんでしたが、つぐみの同級生の清岡に情報を聞いていました。すると清岡が『先生来て下さい。つぐみ、変わりましたから』と言うので練習に戻ると、本当に別人になっていました。自分から他の選手、後輩にもアドバイスを聞きにいっていた。練習に対する姿勢が一生懸命になり、そこからグッと伸びた気がします」
様々な出来事を経て、高校3年時にはレスリング漬けの日々を送る。父・優史によれば、育英大には「年間約100日」も通ったという。金曜日の授業が終われば夜行バスに乗り、週末は育英大でのトレーニングがルーティンとなった。日曜に夜行バスで帰るというタフなスケジュールも乗り越えた。
自ずと結果も出始める。ジュニアクイーンズカップ、アジア・ジュニア選手権(以上55kg級)、インターハイ、国民体育大会(以上53kg級)、全日本女子オープン選手権(55kg級)で表彰台に上がった。シニアの全日本選手権(同)で2位に入り、クリッパン女子国際大会(同)で優勝を収めた。
そうなると育英大進学は必然だ。「先輩たちにもすごくよくしてもらいました。いい環境だなと思い、ここに決めました」と櫻井。生まれ育った高知県を離れ、群馬県に飛び込んだ。櫻井は柳川の指導の下、才能を開花させていくのだった。
<櫻井つぐみ(さくらい・つぐみ)プロフィール>
(文・写真/杉浦泰介)