2007年4月28日、四国アイランドリーグに続く国内2番目に誕生したプロ野球独立リーグ、北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)が開幕した。現在、新潟アルビレックスBC、信濃グランセローズ(長野)、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4球団が初代チャンピオンを目指して、各地で熱い戦いが繰り広げられている。

 新潟駅近くにある事務所に入ると、まだ若干あどけなさが残るジャージ姿の青年が、礼儀正しくソファに座っていた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
 新潟アルビレックスBC、前田真宏、投手、背番号21。昨年まで四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに所属していた前田は、今年でプロ3年目となる。

 国内で初めて誕生したプロ野球独立リーグ「四国アイランドリーグ」の第1回トライアウトを受けたのは、前田が徳山大学2年の秋だった。2年生ながら、2番手ピッチャーとしてのポジションを勝ち取っていた前田。その年、チームも中国六大学野球春季リーグで7年ぶり9回目の優勝を果たし、全日本大学選手権に出場。ベスト8に進出する快挙を成し遂げた。彼はまさにこれから同大のエースを担うべき、期待の星だった。

 しかし、前田にとって目標はただ一つ、NPB選手になること。プロへの道が開けるのなら、大学中退など問題ではなかった。生まれ故郷の四国に独立リーグができると聞き、「もしかしたら、NPBへの近道になるかもしれない」と思った。

「既にレギュラーを取れていたので、大学には全く未練はありませんでしたし、四国アイランドリーグ設立の話を聞いて、『これだ!』と思ったんです。野球が大好きな親父は、地元にプロリーグができ、しかもそこに自分の息子が入ってくれたら、こんなに嬉しいことはない、とすぐに賛成してくれました」

 トライアウトを受けることは、大学の監督には言わなかった。独立リーグとはいえ、プロであることには間違いなく、全国から我こそは、とばかりに多くの選手がトライアウトを受けにくるに違いない。果たして自分はどこまで通用するのか……。「受けることに迷いはなかったが、受かる自信はなかった」という前田は、落選した場合は再び徳山大学で野球を続けようと思っていたのだ。

 しかし世の中、そう甘くはない。徳山大学も名を連ねている全日本大学野球連盟の上部組織、日本学生野球協会が定める「日本学生野球憲章」には次のような下りがある。

<選手及び部員は、職業野球に所属する選手、監督、コーチ、審判員その他直接に職業野球の試合若しくは練習に関与している者又は関与したことがある者と試合若しくは練習を行ない、又はこれらの者からコーチ若しくは審判を受けることができない。>

 つまり、大学の野球部に所属している限り、プロのテストを受けることは許されていないのである。前田も、そして家族もそのことを知らなかった。
 かくして、前田は2004年12月5日、記念すべき日本初の独立リーグのトライアウトを受けた。会場となった香川県オリーブスタジアムには全国から200人近くの選手が集まり、50メートル走、遠投、実技テストを行なった。

「他のピッチャーを見て、レベルが高いなぁと思いました。だって、150キロ近いスピードのボールを投げるピッチャーがゴロゴロいましたから。もう、テストを受けながら落選を覚悟しましたね。
『よし、大学で頑張ろう』と思って野球部の寮に戻ると、監督はもうトライアウトのことを知っていて、『何してるんだ!』とひどく叱られました。その時、初めて自分がしたことの重大さを知ったんです」

 すぐに部員登録を抹消され、野球部の寮にもいられなくなってしまった。アパートで一人暮らしを始めた前田は、昼間は授業へ、放課後はアルバイト、といった普通の大学生活を送るようになった。大学で福祉を専攻していた彼は、在学中に資格を取り、将来は福祉の道へ行こうと考えた。もう、プロ野球選手への夢はきっぱりと諦め、新たな人生を歩み始める決心をしたのである。

 それから約1カ月後の2005年1月13日、一次合格者16人が発表された。その中に「前田真宏」の名前があった。
「神様が僕を拾ってくれました」
 当時のことを思い出したのか、前田は嬉しそうに、そして少し興奮気味に語った。
「絶対に落ちたなと思っていたので、合格者の中に自分の名前を見つけた時は、もう嬉しくて嬉しくて……涙が出ました。後で知ったことなんですが、愛媛マンダリンパイレーツの高山郁夫コーチ(現ソフトバンクコーチ)が僕を見込んでくれたようです。リーグ戦が始まる前に行なわれた全体練習で、高山コーチから『オマエは野球センスがあるよ。何より、体の使い方がいい』と言われました」

 一度は諦めたプロへの道。前田は野球をやれる幸せを噛みしめながら、地元・四国の地で白球を投げ続けていた。

 
前田真宏(まえだ・まさひろ)プロフィール
1984年6月13日、愛媛県西予市(旧三瓶町)出身。小学4年からソフトボールを始め、エースで4番として活躍。中学では軟式野球部に所属し、全国中学校総合体育大会愛媛県大会ではエースとしてチームをベスト4進出に導いた。県立三瓶高校卒業後、徳山大学に進学。2年時にはレギュラーを獲得するも、中退して四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツに入団。2007年より北信越BCリーグ・新潟アルビレックスBCに所属。176センチ、70キロ。右投右打。






(斎藤寿子)
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