數田彩乃(埼玉西武ライオンズ・レディース/高知県高岡郡中土佐町出身)第2回「野球仲間と過ごした日々」

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 數田彩乃(現・埼玉西武ライオンズ・レディース)は1995年5月、高知県高岡郡中土佐町に生まれた。カツオの一本釣り漁で知られる漁師町。自然溢れるまちで、3きょうだいの末っ子としてすくすく育った。

 

 母・真理によれば「活発な子でした」という。

「家でじっとお絵描きをするようなタイプではなかったです。ただ言いつけは守る子で、17時のチャイムが鳴ればきちんと帰ってきました。手のかからない子でしたね」

 本人の記憶も同様だ。「ずっと外で遊び続けていましたが、17時のチャイムが鳴った瞬間に帰る。じゃないと各家庭の親に怒られるんです」と笑顔で話した。

 

 外で遊ぶのが好きな數田がすぐに夢中になったのが野球だった。5歳上の兄が地元の久礼ジュニアーズに入団していたこともあり、家族で試合の応援に行くこともしばしば。數田も1年夏に入団した。「気が付いたら、勝手に入部してきていましたね。それまで野球の友だちが多かったので、自然な流れでしたね」と母・真理。2歳上の姉はバスケットボールを始めていたが、他のスポーツには目もくれなかった。

 

「野球一筋でした」

 久礼ジュニアーズは月曜日と金曜日が休みだったが、その休みの日でさえ友人たちと野球に明け暮れた。当時を振り返り、數田は「両親は“あれをやりなさい”と強制することは一切なく、自分の好きなことをさせてくれた」と感謝の想いを口にする。

 

 現在、右投げ左打ちの數田だが、右利きである。左打ちを始めたのは野球チームに入る前のことだった。母・真理によれば、保育園の年長のある日突然、數田が言い出したという。かつて指導者が足の速い選手を少しでも一塁に近付けるため左バッタ―に転向させるケースは少なくない。だが、まだ保育園の子どもが自ら希望してというパターンは珍しいだろう。

「父兄が『左の方が有利』というような話を聞いて話を始めたんです。それくらいまわりの話をよく聞く子でした。『別の子に注意、指導していることもちゃんと聞いていて、それを自分で吸収している』と小学校の頃の指導者の方に話を聞いたことがあります」(母・真理)

 

 全国大会にも出場するレベルの久礼ジュニアーズの練習は厳しかった。だが、逃げ出すことも投げ出すこともなかった。「まわりの友達に支えられた」と數田は言う。「このメンバーと野球をするのが楽しかったし、野球も友達も大好きだった」。彼女にインタビューをしていても感じたことだが、どこかポジティブな空気を纏う。母・真理に聞いても「ニコニコ笑い、弱音を吐かない子でしたね」と証言する。

 

 小学生時代から変わらぬ関係

 

 久礼ジュニアーズでは、男子に交じって野球をしていた。女子は同学年にはおらず1学年下にいる程度。それでも本人に気にすることはなかったという。「幼稚園から一緒の友達で、男子・女子という区別はなく、共に野球をする仲間って感じですね」と數田。その仲間たちとは今でも高知に帰った際、必ず会いに行くという。

 

 ポジションはセカンドとライトを守り、小学校高学年になるとピッチャーを任された。5年生からチームの主戦投手となった。數田の在学中は小学2年と6年で全国大会に出場。2年時は「連れていってもらった程度」(數田)だったが6年時はエースとしてチームを牽引した。高知県予選では92チームが全国への切符を争った。その中には、現・東北楽天ゴールデンイーグルスの和田恋を擁する嶺北ジュニアもあった。嶺北ジュニアとの直接対決はなかったものの、「逆転した試合が何度もあった」と白熱した県予選を突破した。

 

 2回戦で敗れたものの、全国大会を経験した數田にソフトボール強豪校から声がかかった。「野球しかしてこなかったし、まだ野球を続けたかったので、断らせていただきました」。久礼ジュニアーズの仲間と共に地元の久礼中学に進学し、軟式野球部に所属した。

 

 小学校までは感じなかった体格差、筋力差が徐々に出始める時期である。「中2、3くらいになると、感じはしましたけど、“頑張るしかない”の一心でした」。數田に「中学時代の野球は苦しかったですか?」と聞くと、こう返ってきた。

「いや、楽しかったです。メンバーも一緒で、小学校と変わらぬ接し方をしてくれた。1人の野球選手、1人の友達として見てくれていたと思います」

 

 高校は、全国大会優勝経験のある女子野球の名門・神村学園(鹿児島)に進んだ。進路については、両親の負担を考え、迷った時期もあったという。それでも両親は背中を押してくれた。

「父は『やりたいことをやりなさい』、母は『嫌になったら帰ってきなさい、いつでも待っているよ』と言ってくれました」

 

 母・真理によれば「少し寂しさはありましたが、本人の行きたい学校でしたから」と胸の内を明かす。野球部のセレクションを経ての入学だったが、「正直、セレクションに行ってレベルの高さを痛感するのかなと思ったんですが、私の目からも結構できていた。それに本人がワクワクして、希望に満ちていた」と振り返る。目を爛々と輝かせる我が子を引き留めておくことなどできなかったのだろう。

 

 こうして數田は親元を離れ、鹿児島での寮生活がスタートするのだった。

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

 

數田彩乃(かずた・あやの)プロフィール>

1995年5月19日、高知県高岡郡中土佐町生まれ。小学1年で野球を始める。久礼ジュニアーズ-久礼中学-神村学園高校-尚美学園大学を経た後、約2年のブランクを経て、埼玉西武ライオンズ・レディースに入団。セカンドのレギュラーとしてセンターラインを固める。高校と大学でキャプテンを務め、高校は全国高校選手権ベスト4、大学では全国大学女子選手権優勝(連覇)に導いた。また男女混成の5人制手打ち野球「ベースボール5」の日本代表としても活躍。第1回W杯での銀メダル獲得に貢献した。ベースボール5の体験会など普及活動にも積極的に参加している。右投げ左打ち。身長164cm。背番号1。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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