2011年春、數田彩乃(現・埼玉西武ライオンズ・レディース)は生まれ育った高知県を離れ、鹿児島の神村学園に進学する。神村学園は全国高校女子野球選手権で6度優勝、日本代表選手を輩出するなど女子野球の名門だ。

 

 小学生時代は全国大会出場経験こそあれど、中学では県大会どまり。決してエリート街道を歩んできたわけではない數田にとって、 神村学園での日々は新鮮だった。

「私は男子に交じって野球していたので、たくさんの女子野球選手の姿を見る機会が少なかった。“こんなに上手い人がいるんだ”と思いました」

 

 焦りよりもワクワクが勝った。上手くなるため、レギュラーを掴むためには、先輩や同級生たちとの争いに勝つしかない。「“まだまだこれじゃ戦えない”“もっと練習しよう”“もっと上手くなろう”と思っていました」。追いつけ追い越せで、腕を磨いていった」

 

 地元愛に溢れる數田だが、鹿児島での生活はホームシックに「なる暇がないほど厳しかった」という。全国レベルの強豪校ともなれば練習強度も上がる。厳しい環境に身を置き、心くじけそうな時もあったろう。「野球が大好きだったから」。野球を辞める選択肢など微塵もなかった。

「厳しい高校寮生活があったからこそ、今でも苦しいことを乗り越えられる」

 

 神村学園では1年生ながら夏の全国高校女子野球選手権でベンチ入り。3年生が引退した新チームからは「1番・ショート」の定位置を掴んだ。守備にはこの時から自信を持つ。

 

 当時、數田取り上げた高知新聞の記事にもこうある。

<「守備が好き。正面のゴロを確実にアウトにする。それが楽しい」。基本に忠実な姿勢で前へ出る。流れるような動きで正確に送球する163センチの姿は、男子にもひけをとらない>(2011年9月28日付け)

 

 3年時にはキャプテンを務め、全国高校女子野球選手権で優勝した埼玉栄に敗れたものの、ベスト4入りに貢献した。高校時代一番、記憶に残っている試合を聞くと、勝った試合でもなければ、キャプテンとして戦った最後の夏でもなく、「2年時の夏」との答えが返ってきた。

 

 当時、數田は右肩の負傷を押して出場していたという。ショートを守った數田だが、2個のタイムリーエラーを犯してしまい、チームは全国高校女子野球選手権1次リーグで敗退した。

「試合で負けてしまい、それで3年生の先輩方は引退。本当に申し訳なくて、泣き崩れていた。私のケガを知っていた同学年でエースの子が『彩乃のせいじゃないよ。肩を直して、また頑張ろう』と言ってくれた。その言葉に救われました」

 

 “やり切る”ための進路変更

 

  高校卒業後は埼玉の尚美学園大学に進む。当初は野球を引退し、地元の国立大に通うつもりだった。 しかし在学3年間で全国優勝は経験できず“不完全燃焼”となったことで、彼女の闘争心に火が付いた。

「やり切れなかった。優勝で終われなかった。だから大学でも野球をやろうと決めました」

 

 やるからには強いところで自分を鍛えようと、全日本女子硬式野球選手権大会を複数回優勝し、女子プロ野球選手を輩出する強豪・尚美学園大を選んだ。だ。だから先輩たちの実力を目の当たりにしても高校時代同様、落ち込むことはなくモチベーションになった。

「高校の時よりもさらにレベルが高いので驚きましたね。“この中でやったら自分も上手くなれる”とワクワクしましたね」

 

 同大は、プロ野球の西武ライオンズなどで活躍した新谷博(現・埼玉ライオンズ・レディースGM)が監督を務めていた。「大学では頭を使いながら、戦略やメンタルにも目を向ける強さ」と考える野球を学んだ。
「高校時代も考えてやっていたつもりでしたが、それが浅かったということを思い知らされました。“それほどまでに野球は深いんだ”と。当時、親にも『新谷さんの野球は身体よりも頭が疲れる』と言った記憶があります」

 

 頭で理解して実践するのは難しかったが、新しい知識が入ってくることで野球がより楽しくなった。數田は大学4年間で技術的にも人間的にも成長できたという。2年でレギュラーの座を掴んだ。在学中の4年間で、チームは全日本大学女子硬式野球選手権高知大会は2度、全日本大学女子硬式野球選手権3度、全日本女子硬式野球選手権を1度優勝を経験。4年時にはキャプテンとして全国大学女子選手権高知大会を制し(連覇)、全日本女子硬式野球選手権大会と全日本大学女子硬式野球選手権大会は準優勝した。

 

「やり切ったと思いました」

 大学卒業後、埼玉県内の一般企業に就職した。野球は引退。プロ野球観戦に行っても草野球でのプレーすらしなかった――。

 

(最終回につづく)

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數田彩乃(かずた・あやの)プロフィール>

1995年5月19日、高知県高岡郡中土佐町生まれ。小学1年で野球を始める。久礼ジュニアーズ-久礼中学-神村学園高校-尚美学園大学を経た後、約2年のブランクを経て、埼玉西武ライオンズ・レディースに入団。セカンドのレギュラーとしてセンターラインを固める。高校と大学でキャプテンを務め、高校は全国高校選手権ベスト4、大学では全国大学女子選手権優勝(連覇)に導いた。また男女混成の5人制手打ち野球「ベースボール5」の日本代表としても活躍。第1回W杯での銀メダル獲得に貢献した。ベースボール5の体験会など普及活動にも積極的に参加している。右投げ左打ち。身長164cm。背番号1。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


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