「(野球を続けるという選択肢は)なかったです」

 尚美学園大学で全国制覇を経験した數田彩乃(現・埼玉西武ライオンズ・レディース)は、大学の女子野球部を引退するタイミングで、自らの野球人生にもピリオドを打った。

 

 大学卒業後、一般企業に入社。プロ野球観戦に行くことはあっても身体を動かすのはトレーニングジムくらいなものだった。草野球に興じることもなく、バットやグローブを手に取ることもなかった。それだけプレーヤーとしては、やり切ったという自負があったからだろう。

 

 ところが、數田の野球人生は再びスタートする。きっかけは彼女が野球人生にピリオドを打った埼玉県に本拠を置く埼玉西武ライオンズが、支援・公認する女子硬式野球クラブチーム創設に向けて動き始めていたことだった。

 

 全日本女子野球連盟から埼玉西武に協力要請があり、2020年に発足したのが埼玉西武LL。女子野球クラブにNPB球団名が着くことは初めてのことだった。初代監督には數田の尚美学園大時代の恩師、新谷博が就いた。2020年1月17日配信の『スポニチアネックス』には、チーム創設の想いをこうコメントしている。

<「卒業後に野球を続けられずにやめる姿を見てきて悔しかった。何とか環境を整備できればと思っていた」>

 

 埼玉西武LLの1期メンバーは、尚美学園大OGを中心に編成されていた。そんな折、數田に新谷から声が掛かったのだ。

 

「もう1回野球をやらないか?」

 

 はじめは「NO」だったが、恩師からの誘いに、答えは次第に「YES」へと傾いていった。「野球を辞めた時、大学でやり切った思いがあったので、自分の中では“絶対もう野球はやらない”と決めていた。だから最初は受ける気はなかったんです。でも何回か声を掛けていただくうちに気持ちは変わっていきました。私自身、野球が嫌いになったわけではないですし、お世話になった新谷さんに声を掛けてもらったので……」

 

「野球が楽しい」

 

 こうして19年秋、數田は野球人生のリスタートを決めた。“現役復帰”は、一番に両親に報告をした。「両親も野球が好きなので、すごく喜んでくれました」。テストを経て正式に入団。晴れて埼玉LLの一員となったのだ。

 

 しかし2020年1月当時、日本列島を未知のウイルスが襲っていた。新型コロナウイルス感染拡大により、国内のスポーツ大会は軒並み、中止・延期に追い込まれた。女子野球もその例に漏れず、埼玉西武LLが主戦場とする関東女子硬式野球連盟主催のヴィーナスリーグは中止となった。

 

 埼玉西武LLの活動は、全体練習が水曜日と試合のない週末となる。先述したように大会が中止となり、練習で積み上げたものを披露する場は少なかった。それでも數田は明るかった。

「コロナで大会がなくなってしまったので、週末はほぼ毎週練習でした。すごく充実していて、楽しかった。あっという間に土日が過ぎちゃうという感じでしたね」

 

 約2年のブランクにより筋力は落ち、得意とする守備では横の動き、瞬発力が衰えていたという數田だが、そこに“できないことへのジレンマ”はなかったという。

「野球をできることが楽しかった。何をしていても楽しい。グラウンドに行くこと、外に出ること、みんなに会えることが楽しかったんです」

 

 むしろ“まだまだ上手くなれる”と前向きだ。

 「“まだできるだろう”って自分自身では思っていました。前はできたのだから、“この練習じゃ足りない”と、もっと練習をするようになりました」

 当時の職場も數田が野球をすることに理解を示してくれた。

「職場の方々も応援してくれましたし、大会が平日行われる際には有給休暇を取りやすい環境をつくってくれました」 

 周囲の支えや理解に感謝しながら、第二の野球人生を歩んでいる。

 

  紺のキャップに「L」、胸には紺色で「LIONS」帽子。埼玉LLのユニホームは埼玉西武ライオンズと同じデザインだ。

「プロ野球チームと同じユニホームに袖を通すことはうれしいことですし、それと同時に責任も。『ライオンズ』という名前を背負うからには、それなりの行動が必要です。プレー以外の部分でも責任を持って行動しなければいけません。普通のチームよりも多くの人より見られ、応援していただいている。それはとてもありがたい話。私は応援してくれる方たちを大切にしたい」

 

 二つの目標

 

 そして彼女には、男女混成の5人制手打ち野球「ベースボール5(ファイブ)」の選手としての活動もある。昨年2月、埼玉西武LLでチームメイトの六角彩子の紹介で始めたこの種目。「練習に初めて参加した時に“面白い!”とハマりました」。週に1回、埼玉西武LLの練習後にチームのトレーニングに参加した。スタートして数カ月で日本代表入りを果たし、WBSC ASIA Baseball5アジアカップ(アジア杯)で準優勝。WBSC Baseball5 ワールドカップ(W杯)への出場権を獲得し、本大会で銀メダルを手にした。

 

 ベースボール5は戦略性の強いダイヤモンド型スポーツだ。18×18mのフィールドで、オフェンス側は5人の野手(一塁手、二塁手、三塁手、遊撃手、中間野手)を相手に打球方向や球質をコントロールしてアウトを避けなければならない。

「誰でもできることが魅力ですね。野球に比べてフィールドが小さい分、スピード感がすごい。監督はいるのですが、野球のように指示を待っていてはプレーが間に合わない。選手個人に瞬時の判断が求められる。それも魅力ですね」

 

 第二の野球人生は、女子野球とベースボール5で二つの目標を掲げる。埼玉西武LLでは「何よりもチームの結果が一番」と全日本女子硬式野球クラブ選手権大会と全日本女子野球選手権大会(全日本)で優勝すること。この7月には、もっと野球に打ち込むため職場を変え、神奈川から埼玉に引っ越しもした。9月の全日本クラブ選手権は惜しくも準優勝だったが、10月の全日本で日本一を目指す。

 

 そしてベースボール5では 「最終目標は日本代表としてW杯で優勝し、世界一になること」と口にする。だが勝つことだけがゴールではない。

「この種目は日本でまだまだ認知度が高くない。認知度を上げていく活動もしていきたいです」

 地元・高知で体験会を行うなど普及活動にも力を入れている。

 

 數田は高校時代、グローブに「常に上を」と刺繍していたという。インタビューで彼女に抱いた印象は前向きでポジティブ空気を発露している。「常に上を」とは、彼女を表すうえで、これほど適当な言葉はないだろう。

「何かあった時に下を向いていてもいいことがない。そう思うようになってからは上を向こうと」

 

 第二の野球人生を歩んだことに後悔はない。「野球を再開して本当に良かった」。今も笑顔で白球を追う。

 

(おわり)

 

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數田彩乃(かずた・あやの)プロフィール>

1995年5月19日、高知県高岡郡中土佐町生まれ。小学1年で野球を始める。久礼ジュニアーズ-久礼中学-神村学園高校-尚美学園大学を経た後、約2年のブランクを経て、埼玉西武ライオンズ・レディースに入団。セカンドのレギュラーとしてセンターラインを固める。高校と大学でキャプテンを務め、高校は全国高校選手権ベスト4、大学では全国大学女子選手権優勝(連覇)に導いた。また男女混成の5人制手打ち野球「ベースボール5」の日本代表としても活躍。第1回W杯での銀メダル獲得に貢献した。ベースボール5の体験会など普及活動にも積極的に参加している。右投げ左打ち。身長164cm。背番号1。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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