パラスポーツに関わる活動を始めた約20年前。

 車椅子スポーツのイベントで一番ハードルが高かったのは、体育館探しでした。

 

 STAND設立のきっかけとなった電動車椅子サッカーの活動場所は、所謂「障害者高齢者体育館」でした。だから車椅子スポーツで使用できたのです。他の体育館が使用できないことを知る由もありません。しばらくして様々なパラスポーツイベントを各地で展開しようとしたとき、このハードルのことを知りました。

 曰く「床が傷つくから使用許可が出ない」と。

 

 2013年、東京パラリンピック開催が決定し、直後からパラリンピック、パラスポーツの認知度は上がり、パラスポーツのイベントが各地で賑やかに行われました。わたしは、パラリンピックが社会変革活動で、こうして社会が変わっていくんだと、実感しました。“スポーツ施設は、障害の有無に関係なく開かれたものとなっていく”と。

 

 新型コロナで延期・中止していたスポーツイベントが昨年から徐々に再開されていきました。STANDでも、3年ぶりに、リアルイベントの計画を立て始めたときのことです。

 

「えっ? 体育館、借りられないって?」。耳を疑いました。

 いや、そんなはずはない。パラリンピックで、社会は変わったんじゃないの?

 車椅子スポーツ関係の方々にお聞きしてみました。

 

「貸してくれるところ、増えましたかね~? そんな感じはしないですね~」

「今練習で使っている体育館が耐震工事に入るので、他を探すため、県庁に電話で問い合わせたら“車椅子に貸し出しする体育館はありません”とはっきり言われました。ショックです」

「これまで借りていた体育館が、東京パラリンピックを契機に、リニューアルされたんです。チームみんなで喜んでいたんです。すると、これまではぼろかったから車椅子OK。でも新しくなったので車椅子はNGだって」

 

 こんな胸が痛くなるような話もあります。

「なんとか頼んで貸してもらいました。当日事前に紙を渡されました。体育館の図面です。床をよ~くチェックして、元々ある傷や汚れを書き込んでくださいと。書いて提出しました。イベントが終わると、待っていたかのように係の人が件の図面をもって駆けつけてきました。図面と床の傷を照合しているのです。新しくできた傷はないか~と。自分たち、そんなに迷惑かけているのかな、と悲しくなりました」

 

 またですか。そしてまだ、ですか。

 東京パラリンピック後、すっかり変わっていることを想像・妄想・大きな期待をしていましたが……。そうはなっていないようです。

 

 もちろん修理に費用がかかるなど、傷や汚れが厄介なことは理解しています。

 しかし、それを避けるために、施設の貸し出しを拒否することは本末転倒。きれいな衣装を購入したものの、「傷つき、汚れるのがいやだから」という理由で、タンスにしまい、裸で出掛けますか?

 

 もういい加減“新品のぴかぴかを保つ”から“傷つき、汚れてこそ体育館。それを誇りに思う”に変わりませんか。

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。第1期スポーツ庁スポーツ審議会委員、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問を務めた。2022年10月、石川県成長戦略会議委員に就任。同11月に馳浩スペシャルアドバイザーに就いた。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

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