日本発祥のパラスポーツ「ブラインドボクシング」とは、パンチを打ち込む選手全員がアイマスクまたはアイシェードを装着し、視覚障がいの有無に関わらずボクシングを楽しむことができる競技である。このブラインドボクシングの普及に努めるのが、一般社団法人ブラインドボクシング®協会の村松竜二代表理事だ。

 

二宮清純: ブラインドボクシングは名古屋発祥だと、うかがいました。

村松竜二: はい。私が自分のボクシングジムを立ち上げるタイミングで、ボクサー仲間に紹介してもらったのが、ブラインドボクシングでした。当時は名古屋に本部があり、現名誉会長の佐野雅人さんから「東京にもブラインドボクシングを練習できる場所がほしい」ということで、私が関東支部として立候補しました。

 

伊藤数子: 現在、村松さんは一般社団法人ブラインドボクシング®協会の会長を務めていられます。

村松: そうですね。関東支部長から本部の会長になりました。

 

二宮: 村松さんは元プロボクサーで、現役時代の時にケガを負いました。

村松: ジムからバイクで帰宅する際、トレーラーに巻き込まれる事故に遭ってしまったんです。当時はプロボクサーとして6戦5勝1敗と上り調子でした。自分のことを“宇宙一強い”“誰にも負けない”なんて思っていました。トレーラーに幅寄せされ、背負っていたリュックがひっかかり、手から地面に叩きつけられた。その時、左手にはめていた腕時計が突き刺さってしまったんです。握力は多少残っていますが、手首が曲がらないので左のパンチは、以前と同じようには使えなくなってしまった。

 

二宮: 障害者手帳取得の申請はしたのでしょうか?

村松: いえ障害者手帳を取ったのは最近で、現役時代は左手の故障については隠していました。7戦目からの30戦は、ほぼ右手一本で戦いました。

 

伊藤: そこから日本タイトルマッチに4回も挑戦されたんですね。ケガをした直後、現役引退を考えたことはなかったのでしょうか?

村松: 考えたのは一瞬ですね。でも、このケガを理由に辞めることは絶対に嫌だったんです。最低でも日本チャンピオンになってベルトを腰に巻く。その目標を叶えるまでは、諦めるに諦められませんでした。

 

 笑顔が原動力

 

二宮: 両手で戦ったとしても、試合に勝つことは簡単ではありません。

村松: もちろん左も使いました。大ダメージを与えるようなパンチは打てなくても、相手に当てることはできました。使えないではなく、使えるようにするためにはどうするか。フックは出す角度を変え、手首をきっちり返さなくても拳で当てられるようにする。アッパーも立ち位置を変え工夫することで相手に当てられるようになりました。ただ当たると激痛は走りますが……。

 

伊藤: ジムにも飾ってありますが、“パラリンピックの父”ルートヴィヒ・グットマン博士の「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」という言葉を、まさに実践されたんですね。

村松: だって人生ってそうじゃないですか。生きていくうえで、ないものは使えないし、あるものを最大限に生かすしかない。2002年には、試合中のケガで右目眼底骨折を負いました。以降は右目の焦点が合わない状態で、角度によっては1人が3、4人に見えることもありました。それでも3、4人に見えるなら、“全員のパンチをよければいいんだ”と開き直って戦っていましたね。

 

二宮: 文字通り、傷だらけの人生ですね。逆に言えば、ブラインドボクシングに出会ったことに運命的なものを感じるのでは……。

村松: そうですね。私は現役引退後、精神、知的、身体といろいろな障がいのある人にボクシングを指導してきました。その活動を知っていたボクサー仲間がブラインドボクシングの体験会に誘ってくれたんです。そこで“見えていないのにすげぇ”と感動した。私は引退後もアマチュアボクシングを続けていて、“リングでまだ輝きたい”という思いがありました。でも障がい者支援に関わるようになってから、その考え方は変わりました。上から目線になるかもしれませんが、障がいのある人たちを輝かせることによって、自分が輝けるんじゃないか、と考えるようになったんです。

 

伊藤: それが村松さんを突き動かす原動力になっているわけですね。

村松: もちろんです。やっぱり障がいのある人たちの笑顔にパワーをもらいます。「ありがとう」の一言がすごくうれしいですし、そうやって喜んでもらえること自体が、私の原動力になっています。ブラインドボクシングを広める活動を続け、その笑顔をもっと増やしていきたいと思っています。

 

(後編につづく)

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村松竜二(むらまつ・りゅうじ)プロフィール>

一般社団法人ブラインドボクシング®協会代表理事。1974年、山梨県出身。1992年整備士の専門学校在学中にプロボクサーとしてデビューを果たす。1994年、交通事故に遭った際に左手関節機能全廃の障がいを負うものの1年後に復帰。2002年、試合中の眼底骨折により右目外側半分の視界を失った。ほぼ右手一本で戦う姿は“竜の爪”の異名を取り、日本ライトフライ級1位にまで上り詰めた。日本王座に4度挑戦するなど、プロ通算36戦22勝(10KO)12敗2分け。2004年に引退した後、アマチュアボクシングのイベント参加しながら後進の指導を行っていた。2015年からボクシングを通じた社会貢献活動に関わるようになり、2018年にブラインドボクシング指導や青少年自立支援を目的とした法人B-boxを設立。現在は一般社団法人ブラインドボクシング®協会代表理事、一般社団法人B-box代表理事、D&Dボクシングジムの会長を務めている。

 

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