第51回 段ボールでホームベースを作った独立L草創期

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 前回のコラムが更新された翌日(10月26日)、ドラフト会議が都内で開催されました。なんと今年は独立リーグから支配下、育成を含め23名(122名中)もの選手が指名されました。こんなにも“独立フィーバー”となった理由を富山サンダーバーズ(2007~09年、監督として)と徳島インディゴソックス(17年、野手コーチとして)で指導経験のある私なりに解説します。私の独立リーグ経験談にもお付き合いください。

 

 独立Lから最短で1年

 

 まずは数字的な話から。育成を含む指名された選手は全部で122名。高校生=50名、大学生=35名、社会人=14名、独立リーグ=23名でした。かつて、ドラフト指名から漏れた高校球児の選択肢は大学進学か社会人かのほぼ二択。ただし、年数の縛りがネックでした。大学に進めば4年、高卒から社会人に進めば3年、大卒から社会人に進むと2年はそこに所属してからでないとドラフトにかかることはできません。

 

 その点、独立リーグにその縛りはありません。1年でも早くプロ野球(NPB)の球団に入りたい選手にとって魅力的でしょう。「遊ばず野球だけに向き合い、オレはさっさとうまくなって、さっさとNPBに行く!」という強烈な目的意識を持つ選手にはオススメ。時間はお金では買えませんからね。

 

 次に指名された23名のポジションについて。投手=11名、捕手1名、内野手=6名、外野手=5名。私は独立リーグで指導をしていた頃から、「投手は特に、独立リーグでもチャンスあるんちゃう?」と思っていました。18歳、19歳の“ダイヤモンドの原石”を年間100近くある試合で磨けます。1年間、ローテーションを守れればNPBのスカウト陣にアピールするチャンスはたくさんあります。

 

 野手に関して、まだそれほど環境整備が進んでいなかったリーグ草創期は難しいのかなと感じていました。打撃マシンやボールの数が少なく、ひとりで2~3時間、打ちっ放しはできない。試合での守備機会も限られると、スカウトにアピールできるチャンスが少ないからです。しかし今年、野手も多数指名されたところを見るに、ドラフトの年数縛りがない独立リーグを選ぶ有力野手が増えた証左だと感じます。この傾向は今後も続くでしょう。

 

 手作りベース「感謝」「初心」

 

 ここからは私の体験談。私が富山サンダーバーズの初代監督に就任したのは07年。北信越BCリーグ(現・ルートインBCリーグ)1年目です。富山商が遠征に出るためグラウンドを3日間、借りられることになった。いざ、グラウンドに行ってみると「あ、ベースないやん」と(笑)。富山商は遠征先にベースを持っていきますよね。そらそうやわ、と。我々はまだ立ち上がったばかりのチームで、自前のベースを持ってなかった。

 

 初日の練習を終えた夜、引っ越しの時に使った段ボールを切って、2枚重ねてガムテープで補強してホームベースを2つほど、手作りしたんです。1つには「感謝」、もう1つには「初心」とマジックで書きました。手作りベースは重宝しました。投手の調子が悪い時、私は横田久則投手コーチに「手作りベースをブルペンにおいてごらん」と。打者の調子が悪い時は「この手作りベースを置いてフリーバッティングをやってみな」と。“オレたちはここから始まったんだ”と選手の精神面を奮い立たせるアイテムでした。

 

 手作り段ボールのホームベース「感謝」と「初心」が地元メディアに取り上げられました。それを地元の方々が見聞きしたのでしょうか。「アイツら、頑張ってるから応援してやらなアカン!」と思ってくれたようです。

 

 応援に来てくれると交流も徐々に生まれました。チームで地元の方々に貢献できることはないのか? と模索し、「よし、田植えを手伝いに行こう」と企画しました。選手を連れて行くと農家の方々がとても喜んでくれて「ここを使って獲れた米を選手たちに食わさせたってください」と水田丸々一枚、サンダーバーズ用に使わせてもらうようになったのです。「アンタらが田植えと稲刈りの時期に来てくれると、富山のお米の宣伝になるから」と言っていただけたのは嬉しかった。

 

 お袋の会が発足

 

 私の経験上、独立リーグの球団は県民の皆様に認めてもらってナンボです。地元球団で選手たちが頑張っていると、応援や支援をしてくださる。県議会の奥様が音頭を取って「お袋の会」なるものが発足しました。地元スーパーマーケット・オーナーの奥様やそこに勤める方々が週に1回、食事を作ってくれて選手たちにご馳走してくださいました。

 

 これは独立リーグの選手にとってはすごく大きなこと。ある投手に「月の食費っていくらなん?」と聞くと「1万5000円くらいです」と返ってきました。1日500円か……。食事の内容を聞くと玉ねぎやジャガイモなど日持ちする野菜を買い、カレーをたくさん作るそうです。ウエイトトレーニングをして、たんぱく質を摂取し、体をつくらないといけない選手にとって、お袋の会の栄養満点なご飯は有難かったと思います。本当にありがとうございました。

 

 独立リーグはNPBと連携しながら地域をもっと盛り上げられると思います。たとえば、サンダーバーズからNPBに進んだ選手たちは、オフに富山に出向き、野球教室やトークショーを開くとか。富山に帰って来てくれるだけで地元の人々は嬉しいはず。お世話になったのに、“プロに行ったら行きっぱなし”はアカン。しかも、都合が良いことに「同じチームが同じチームから指名」しています。具体的に言うと、千葉ロッテはサンダーバーズから2名(支配下1名、育成1名)、西武は徳島インディゴソックスから3名(支配下1名、育成2名)も指名しています。複数名いれば、トークも盛り上がるはずです。こういうイベントを重ねれば「独立リーグはサンダーバーズ、NPBはロッテが好き」というファンも増えるでしょう。

 

 私自身、富山での3年間、徳島での1年間、しんどい時もあったけど、全部ひっくりめて充実した時間を過ごせました。そうそう、Jリーグは地元と寄り添い、地域を活性化させるのにとても長けてますよね。「野球界はJリーグから地域密着について、もっと勉強せなアカンわ」と今年のドラフトをきっかけに思うこの頃です。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事”完走”を果たした。

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