“勝って当然”見る価値は……“

 

 W杯予選が見られない! 国によっては暴挙や政情不安が起きていてもおかしくない事態だったが、日本では何も起きなかった。

 

 吹っ掛けてきたシリア、もしくはUAE側にとって見誤った点があるとすれば、急速に実力をつけ、おそらくは盛り上がっていると踏んだ日本国内のムードが、思いの外冷めていたということだろう。日本が南米大陸に属し、戦っているのが南米予選だというのであれば、この読みは正しかった。

 

 だが、日本が戦っているのはアジアだった。

 

 スポーツは、勝つか負けるかわからないから面白い。だが、世界的にも稀なスピードで急成長を続ける日本は、完全にアジアの枠を飛び越えてしまった。アジアの、まして2次予選での戦いは、勝つか負けるかではなく、何点取るかだけに注目が集まるようになってしまった。

 

 そんなエンターテインメントに、それでも大金を投じてもいいと考える人が、一体どれだけいるだろう。少なくとも日本の場合は、多数派ではなかった。

 

 そして、今後も多数派になることは考えにくい。

 

 場所は中東で、相手はシリアだった。チームを率いるのは、あのエクトル・クペルだった。バレンシアを2年連続で欧州CL決勝の舞台に導いた、世界屈指の“カウンター使い”だった。多くの日本人が大勝を疑わなかった一方で、シリア国内にはクペルの魔術に期待する声もあった。

 

 だが、一時は世界的なビッグクラブや日本を含めた各国協会から引っ張りだこだった名将が、とんでもない愚将に見えてしまうほどに、シリアは何もできなかった。日本が何もさせなかった。ミャンマー戦同様、両軍の実力差は、監督の能力でどうこうできる次元を遥かに超えていた。

 

 こういう試合が続いていけば、アジアで苦戦する日本を知らない世代は、いよいよアジア予選に対する関心を失っていく。見るのはW杯本大会だけ。予選に観戦の価値なし。そんなファンが主流になっていく。

 

 育成の充実とJリーグの発展、そして海外組の増加が日本代表躍進の理由だとすれば、目下のところ、アジア予選の重要性は決して高くない。欧州や欧米では、厳しい予選がその国の実力を磨いていく側面があるが、いまのアジアでW杯本大会につながる経験値を獲得するのは、残念ながら、難しい。

 

 さて、この現状をアジア・サッカーの元締めたるAFCはどう見ているのだろう。

 

 最終予選の放送権を一括して所有しているAFCは、ここ数大会、どんどん放送権料を釣り上げてきた。前回大会予選時、敵地でのオーストラリア戦の地上波中継がなかったのは記憶に新しい。もちろん、原因は高すぎる放送権料にあった。

 

 W杯出場経験のない国にとって、W杯に出場した選手はスターである。つまり、多くの国にとって、日本戦はドル箱。ところが、アジアに対する日本人の関心が薄れていけば、予選に欧州組を招集すること自体を問題視する声がいよいよ大きくなる。

 

 ドル箱から“スター”は消えるかもしれない。

 

 中国サッカーがその経済力に見合った実力を一向に獲得できずにいる以上、AFCは日本を無視できない。だが、日本人の気持ちはどんどんアジアから離れつつある。放送権料なり予選形式なりの見直しがない限り、この流れに歯止めがかかることは考えにくい。

 

 今回のシリア戦は、日本ではなく、AFCにとっての危機、あるいは分水嶺ではないかとわたしは思う。

 

<この原稿は2023年11月23日のスポーツニッポンに掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから