第53回 狭きプロテクト枠が起こした悲劇

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 つい最近、お正月を迎えたと思っていたら、もうコラムの更新日になりました。FAにより、西武からソフトバンクに山川穂高が移籍しましたが、その人的補償で最終的にピッチャー・甲斐野央の西武移籍が決定しました。ここに至るまで、“騒動”がありました。今回は人的補償について語ります。それでは、僕の球論にお付き合いください。

 

 読みが甘かったSBフロント陣

 

 最終的に山川の人的補償は、甲斐野に決まりました。一部メディアは当初、西武はソフトバンクの顔とも言える大ベテラン・和田毅を指名した、と報じました。これが真実ならば、球団は和田を28名のプロテクト枠から外していた、ということです。小久保裕紀新監督は和田に「来季もローテーションの一角で考えているから準備をしておいてくれ」と伝えていたそうですが、プロテクト枠から彼の名前を外していたとすれば、ソフトバンク側のミスとしか言いようがありません。

 

 和田は42歳の大ベテランです。ソフトバンクのフロント陣は「42歳は指名しないだろう」と踏んだのでしょうか。しかし、彼は昨季も8勝(6敗)と好成績を残しています。加えて、西武には先発型サウスポーの隅田知一郎ら将来性がある若手が所属しています。ここに和田の経験が加われば……と考えるのは至極当然でしょう。和田を抜かれないようにリスト作成の時点でもっと知恵を絞る必要性があったと思います。

 

 先述しましたが、小久保新監督は和田を来季の戦力と考えていたようです。にもかかわらず、和田を枠外にしていた。監督の意向抜きにフロント主導でプロテクト枠のリストをつくったのか? との声も聞こえますが、これに関して僕は、違うのではないか、と思います。監督もプロテクトリスト作成の会議にいたと考えるのが自然です。ましてや、ソフトバンクは小久保“新”監督。前任者とは考え方も違うでしょうから、フロントだけでリストをつくるとは思えません。

 

 プロテクト枠を「40」に

 

 和田が素晴らしいピッチャーであることは説明不要ですが、甲斐野も良いピッチャーです。リリーフとして登板機会も多かったですし、ファンもついていたでしょう。今回の山川を発端に起きた“FA騒動”、和田的には「球団はオレをプロテクトしてくれてなかったの?」と気分は良くないでしょうし、甲斐野も「それで、オレかよ」と気分は良くないはず。せめて、2024年が両選手にとって良いシーズンであることを願います。

 

 一方、ソフトバンクの肩を持つわけではないですが、「28人」というプロテクト枠は狭いと考えます。FA制度導入当初の93年は40人。そこから96年は35人、03年は30人、04年に現行の28人になりました。28人とは一軍(ベンチ入り含む)の数。これだと将来性、伸びしろのある若手は守れない。その彼らを守ろうとすると今回の和田みたく今度はベテランをガードできない。そこの駆け引きも妙であり、戦力均衡をはかるためかもしれませんが、ちょっと28人は少なすぎる。僕としてはFA開始当初の「40」に戻しても良いくらい。プロテクト枠を見て「ああ、欲しい選手がいないや。じゃあ、金銭で」となれば後腐れがないように思います。

 

 外野3人がピッチャー⁉

 

 さてさて、今年の注目は山本由伸が抜けたオリックス。3年連続沢村賞受賞投手が抜けて、オリックスがどうなるかが見物です。とはいえ、山本の穴は埋められません。ここは球団の育成力が見られる機会。オリックスはドラフトでピッチャーを多く獲得する傾向にありますからね。

 

 僕が徳島インディゴソックスのヘッドコーチを務めていた2017年。兵庫県のオリックスとはよく練習試合を開催したものです。そこでの話ですがーー。

 

「康友さん、すいません。うち(オリックス)、一軍の野手にケガ人が続出して予想より多くの選手が上に行ってしまって……。今日の練習試合、外野3人ともピッチャーなんですけど……」

 

 こんなこともあったものです。外野3人が本職でなくピッチャー。「ほうほう」と僕は考えました。支配下はもちろん、育成契約も含め選手のポジション別の割合にそれだけ多くピッチャーに割いているんだな、と。事実、ここ数年、オリックスは優秀なピッチャーが育ってきています。

 

 山本の穴は埋まりそうもありません。しかし、今年も「おっ!」と思わせてくれる若手ピッチャーが現れるんじゃないかなと期待してしまうのです。オリックスが数年前にドラフト下位で指名したピッチャー、もしくは数年前に育成契約したピッチャーがローテーションの一角を担う、もしくはローテーションの谷間で良いピッチングを披露する、なんてことも無きにしも非ずなのでは?

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事”完走”を果たした。

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