極論すれば、“監督論”なるものは、好き嫌いということに落ち着く。その人のサッカーが好き。または、嫌い。

 

 わたしは、サンフレッチェ時代に森保監督のやっていたサッカーが好きだった。だから、代表監督になっても支持してきた。一方で、あのサッカーが嫌いだった、だから代表を任せるなんて、という人の気持ちも理解できる。クライフにさえ、目指すべきサッカーの方向から人格に至るまで、徹底して否定する声はついて回った。

 

 アジア杯での日本代表は、特にイラン戦での日本代表は、確かにひどかった。これは、森保監督だけでなく、研究する側に立てば強いが、される側に回ると脆い、というより、された経験が乏しい日本サッカーの課題を露呈した敗戦だった。この1試合だけで監督のクビが飛んでもおかしくないぐらいの惨劇だった。

 

 わたしはと言えば、それでも森保監督で行くべき……ではないかな、ぐらいの微妙な心境である。

 

 なぜ23年の日本代表は素晴らしかったのか。やり方が継続されたから、成長した選手たちの自主性が嚙み合い始めたから、だった。監督が代わればやり方も変わる。多くの国が、W杯、もしくは予選での敗退ごとに監督を切り替え、新しいやり方を始める。たとえ前任者のやり方を踏襲すると宣言した指導者であっても、時間がたてば自分の色を出すようになる。そのことによるプラスが、現状維持よりも遥かに大きい、と言い切れる自信がわたしにはない。

 

 ただ、何もできずに押し切られたイラン戦を受け、森保監督の限界を訴える気持ちもわかる。だから、迷う。

 

 本人が意図したかはともかくとして、イラン戦後に守田の残したコメントは、森保監督に対する批判としてとらえる人が多いようだ。いや、おそらく本人も、覚悟を固めた上での発言だったのではないか。「もっといろいろ提示してほしい」という彼の発言を、「悲痛な叫び」と評した媒体もあった。

 

 発言の根底にあるのは、所属チームでの経験だろう。川崎Fでは、サンタクララでは、スポルティングではベンチからの指示があった。なのに、というわけだ。

 

 確かに、選手起用や交代も含め、森保監督の采配には疑問が残った。守田の気持ちはわかる。わかるのだが、同時に、こうも思う。

 

 学校の先生に、予備校の先生と比べると専門性が足りないって言っているようなものなのでは?

 

 ポルトガルでプレーする守田もよく知っているように、ラテン語圏では、“監督”と“代表監督”では単語自体が違う。前者は「練習させる人」。後者は「選ぶ人」である。だからなのか、選手による「練習させる人」批判は珍しくないスペインでも、「選ばれた選手」による「選ぶ人」批判は圧倒的に少ない。

 

 守田は黙っているべきだった、と言いたいわけではない。ただ、彼が森保監督に対して感じている不満は、誰が代表監督になったところで、解消されることはないだろうし、仮にされたとすれば、継続と自主性によって生まれた23年の輝きは失われる。それが、短期間の集散を繰り返す代表チームの宿命だ。

 

 マンチーニは、クーペルは、それぞれクラブで時代を築いた。“監督”だが、“代表監督”として彼らがアジアカップで見せてくれたサッカーに、マンCやバレンシアの香りは皆無だった。ドイツ代表の新監督となったナーゲルスマンも、上手くやっているとは言い難い。

 

 森保監督を解任しようとする動きを、わたしは否定しない。前提として、学校と予備校の混同がないのであれば。

 

<この原稿は24年2月7日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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