奥寺康彦をケルンに引っ張ったことでも知られるバイスバイラーは、元来、小さな田舎クラブにすぎなかったボルシアMGを、魅力的な攻撃サッカーで欧州屈指の強豪に育て上げたドイツ屈指の名伯楽である。

 

 国を越えた選手や監督の移籍が現在とは比較にならないほど少なかった当時、それでもバイスバイラーの名声に惹かれ、三顧の礼をもって迎え入れたクラブがあった。

 

 バルセロナである。

 

 だが、クラブ側の目論見は完全に外れた。まだ第2次大戦の傷を癒しきれてはいなかった時代、欧州にはドイツ人と聞いただけでアレルギー反応を起こす人が珍しくなかった。そして、バルセロナの王様として君臨していたのは、「アンネの日記」が綴られた国、オランダ人のクライフだった。

 

 攻撃サッカーの心棒者と超近代サッカーの具現者は、結局、最後まで噛み合うことなく終わる。クラブを追われたのは、バイスバイラーだった。彼を支持する声より、クライフを信じるという声が圧倒的だったからである。

 

 カタルーニャ地方はいささか例外的ではあるものの、体感的にいうと、スペインは決して反独感情の強い国ではない。クライフが勝ち、バイスバイラーが敗れたのは、両者の国籍に起因するというより、選手と監督が衝突した場合、世間は選手の側につくことが多い、という事例の一つだとわたしは見ている。

 

 アジアカップ惨敗という結果を受け、森保監督の手腕を疑問視する声が高まっている。個人的には、日本代表史上最高勝率を記録し、敵地でドイツを倒した監督のクビを切るようなことがあれば、救世主探しに必死になっている中国当たりが狂喜するだけでは、という気はしている。

 

 ただ、イラン戦の内容は確かにお粗末だったし、更迭論が盛り上がるのもわかる。というより、あの試合内容で怒りの声が上がらなければ、そちらの方が不健全である。わたしは、今後も森保監督で行くべきだと考えるが、手直しなりテコ入れの必要性は感じる。

 

 気になるのは、イラン戦後の守田をはじめ、日本代表選手の中から、ベンチに対する不満とも取れる声が漏れ伝わり始めたことである。

 

 先週も書いたように、代表チームの監督にクラブチームの監督と同じ仕事を求めることは、いささか酷だとわたしは思う。仮にクロップを後釜として招聘したとしても、ドルトムントやリバプールほど的確な指示や采配が下せるとは限らない。少なくとも、スペインを率いたルイス・エンリケは、バルセロナの彼と同じではなかった。

 

 ただ、選手たちに「この監督には的確な指示が出せない」との認識が広がっているのだとしたら、放置するのはまずい。W杯と昨年の快進撃を経た上での不満だけに、より深刻である。未勝利の時期に生じる不満は、「勝てば解決される」と黙殺することもできるが、勝った上での不満となると、そうも言ってはいられない。選手たちが「この人の指示なら信用できる」と捉える存在が必要になってくる。

 

 では、森保体制を継続しつつ、選手をファンの不満を鎮める手段はあるのか。カギは、川崎Fではないかとわたしは思う。

 

 川崎Fの象徴だった選手、あるいは礎を築いた指導者。彼らにチームへの関わりを深めてもらうことで、生じつつある問題への対応策とすることはできないだろうか。船頭多くして、のリスクより、得るものの方が大きいように思えるのだが。

 

<この原稿は24年2月15日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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