第264回「憧れとトレーニングのはざま」
このところのスポーツニュースは、米アリゾナで行われている大谷翔平選手のトレーニングキャンプ情報ばかり。まあこれが数字を取れるので仕方がないのだが、プロ野球のキャンプが完全に霞んでいるのが現状。それだけ、大谷選手への期待が大きいということでもある。
その中で面白いのが、大谷選手がどんなトレーニングを行っているのかを報道しているケースが多いこと。ひじの手術明けであること、シーズンに向けて故障予防のため、主にフィジカルトレーニングに取り組んでいることもあり、打つ・投げるという野球っぽいアクションが少ないのでそうなっているのだろう。
そこで、様々なトレーニングが報道されているわけだが、受け手にはあたかも野球にはこのトレーニングや必要だと言われている感覚に陥る。ジュニアや高校生などに影響力は抜群だろう。きっと週末のグラウンドでは、棒を持ってモモ上げしたり、手を横にして障害物を越えたりしている姿が見られそうだ。
「僕がやっているトレーニングは僕が必要としているもので、誰にでも当てはまるものではない。これを正解と思わないで欲しい」
これは、球界でも超ベテランのあるピッチャーの言葉。キャリアの長い彼には、キャンプに入り今年も多くのメディアが取材に訪れ、トレーニング内容を聞いてくる。それに対し、彼が間違った影響を与えないように釘を刺した一言だ。
長いキャリアの中で、その時その時に必要であると思われるトレーニングをやってきて今がある。キャリアも過程も違う選手が同じトレーニングでいいはずがないし、今、自分がやっていることがすべて正しいと思われたくない、という彼の思いだ。
これまさに正論で、強くなるためのトレーニングは、ベースの部分は共通していても、その後に積み上げる段階では、各自のウィークポイントを強化し、それぞれが目指すものを追い求めていくためにアレンジしていく。それはどのスポーツも同じで、もちろん野球も同じ。イチロー選手のトレーニングを大谷選手はやらないし、大谷選手のトレーニングを山本由伸選手はやらない。もちろん重なる部分はあっても、すべて同じなんていうことはあり得ないだろう。
トレーニングに近道と魔法はない
今回の大谷選手のトレーニングは、体幹を意識しながら下半身を使うことや、筋肉を最短で最大の力を出す「プライオメトリックスメトリックストレーニング」であることは良く分かる。それが野球に大切なことは言うまでもないが、これまでのカラダの出来具合で調整しているのも間違いない。つまり、大谷選手がやっているから、すぐに取り入れるというのは適切ではないし、ケガのリスクさえある。特にカラダのできていない若手については、基本的なトレーニングの方が重要であるだろう。
もちろん、大谷選手にはそんな意図はないはずだ。だが報道に乗った時点で間違ったメッセージになってしまうことがある。メディア側にもそんな意図はないと思うが、一流アスリートへの憧れというのは、すぐにマネしたくなるもの。私もトライアスロンを始めた当初は、アメリカの英雄デイブ・スコット氏に憧れ、文献を覚えるほど読んでマネをしたものだ。後に本人にその話をすると「タロウ、あれは当時の話であり今は忘れろ!」と笑っていたのを思い出した。記事や映像は独り歩きしていくのである。
憧れの気持ちは大切だが、トレーニングに近道や魔法はない。
メジャーリーガーでさえ、キャンプの中であれだけ地味な体作りのトレーニングをしていることには注目すべきだろう。
指導者の皆さんが、メディアに刺激されている選手たちを、上手くコントロールしていただくことに期待したい。
それにしても……。
前出のベテランピッチャーも、大谷翔平選手も、彼らの今シーズンの開幕が待ち遠しい。
白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月より東京都議会議員。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)。