1975年10月15日。その日は「生涯最良の日」と言っていいかもしれない。
 広島カープは球団創設以来26年目にして、初めてのペナントレース制覇に向けてマジックを1としていた。

 舞台は東京・後楽園球場。高校生だった私はテレビでこのゲームを食い入るように見つめていた。カープは5回、大下剛史のタイムリーツーベースで先取点を奪った。しかし、その後、追加点がとれない。
 
 先発はエース外木場義郎。20勝に王手をかけていた。この日も好投し、8回途中で降板するまで1点も許さなかった。

 そして迎えた9回表、2死1、2塁の場面でゲイル・ホプキンスの3ランが飛び出す。打球はライトスタンド中段ではねた。カープ史上、最強の外国人選手。彼がいなかったら、この日が来ることもなかっただろう。

 このシーズン、MVPに輝いたのは首位打者を獲得した山本浩二だったが、20勝で最多勝に輝いた外木場、33本塁打、91打点のホプキンス、10勝10セーブの宮本幸信も山本に劣らない活躍をした。日本ハムから移籍した大下剛史も“いぶし銀”の働きを演じた。

 そして9回、マウンドに上がったのは、前年に20勝で最多勝をあげたものの、交通事故で両目の角膜を負傷し、この年の8月に復帰した金城基泰だった。金城は柴田勲をレフトフライに打ち取り、最後を締めた。

 赤ヘル軍団――このシーズン、カープはこう呼ばれて他球団から恐れられた。しかし、アンダーシャツは当時は濃紺だった。アンダーシャツまで赤で統一されたのは2年後のことである。



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