「僕の野球人生にとって大きなポイントになりました」
 それは6年前の春のことだった。大学3年生を迎える堂上に、転機とも言える出来事が訪れる。高知・春野で実施された西武の春季キャンプにアマチュア選手の代表として派遣されることが決まったのだ。
 2002年、全日本アマチュア野球連盟は、2年後に控えるアテネ五輪に向け、有力選手の強化を進めていた。その一環として、アマチュアから48選手が選抜され、NPBの12球団に4人ずつが派遣されることになった。その48選手に堂上が選ばれたのだ。西武キャンプには他に馬原孝浩(当時・九州共立大、現ソフトバンク)、野村宏之(当時・近大、元オリックス)、三東洋(当時ヤマハ、元阪神)と、後にプロ入りを果たす選手たちが参加した。他球団を見ても、和田毅(当時・早大、現ソフトバンク)、久保田智之(当時・常磐大、現阪神)、村田修一(当時日大、現横浜)と現在の日本野球を支える主力メンバーたちが名を連ねていた。

「僕はそれまで全日本に入った経験もなかったのでビックリしました。所属していた神奈川リーグも有名ではないですし、前年の大学選手権も1回戦負けでしたから」
 強肩の捕手として、その名は関係者の間で徐々に広まっていたとはいえ、本人にとっては驚きの抜擢だった。右も左もわからないまま参加した西武キャンプは、ショックの連続だった。

 まず初日、ブルペン捕手を務めていると、目の前のマウンドに背番号18をつけた男がやってきた。今やメジャーリーガーとなった松坂大輔だった。前年は15勝をマークし、ルーキーイヤーから3年連続の最多勝に輝いていた。そんな“怪物”といきなりバッテリーを組み、そのボールをミットで受け止めた。まだ本気で投げていないとはいえ、一挙手一投足には人を圧倒する雰囲気があった。
「こういう選手がプロに行けるんだなと。いい経験になりました」

 実は松坂とは高校時代、対戦経験がある。堂上が武相高校の2年生だった98年夏の東神奈川予選、4回戦に勝ち進んだ武相は春夏連覇を目指す横浜と激突した。横浜のエースは、言わずとしれた松坂。当時は背番号1をつけていた“怪物”は、武相戦が大会初先発だった。

 試合は終わってみれば、松坂の独り舞台になった。武相打線はわずか2安打に封じられ、3回以降は快音を響かせることができない。一方、松坂は初回、バックスクリーンに2ランを放つなど、バットでも目立っていた。横浜の勢いに圧倒され、堂上たちは次々と失点を重ねていく。0−10。5回コールドで、武相の夏は終わった。
「ボールがどうというよりも、マウンドに立っている姿が他の高校生とは違いましたね」
 このゲーム、堂上は松坂の前に2打席凡退に倒れている。

 伊東勤から学んだキャッチャーの基礎

 堂上がキャンプに参加した時の西武には黄金期を支えたベテラン捕手、伊東勤がコーチを兼任していた。39歳の伊東はまだ19歳のアマチュア捕手に、練習メニューを組んでくれた。そこにはキャッチングや足のステップ、スローイングに至るまで、捕手としての基本練習が詰まっていた。

「それまでキャッチャーはピッチャーのボールを捕れて、肩が強くて動ければいいくらいにしか思っていなかったんです」
 堂上がキャッチャーミットを手にしたのは、高校の最上級生になってからだ。それまではサードやセカンドなどを守る内野手だった。捕手に転向した理由は第一に肩が強かったから。第二にキャプテンに就任し、監督から全体へ指示を出せるポジションとして勧められたから。それから数年でNPBのキャンプに参加できる機会を得たとはいえ、捕手としての経験値は決して高くなかった。

「本格的なキャッチャー練習は始めてだったと言えるかもしれないですね」
捕手歴の浅い若者にとって、プロの世界で20年もマスクをかぶり続けた伊東の練習は、参考になることばかりだった。堂上はキャンプ参加後も、大学に帰って毎日、その練習メニューを繰り返した。

 血となり肉となったのは昼の練習時間だけではない。トップレベルで活躍する選手たちと語らう夜の時間も貴重な勉強となった。これは松坂たちから食事に連れて行ってもらったときのことだ。堂上は思い切って、自分の思いをぶつけた。
「僕も松坂さんと同じ場所に立ちたいです!」

 それを聞いた松坂は、堂上にあるアドバイスを送った。日本を代表する右腕の一言は、彼の心の中に深く刻まれるものだった。
「それまでは、ただ闇雲に野球をやっていました。肩だけは負けないぞという自信だけはありましたけど(笑)。それ以外は知識も技術もなかった。西武のキャンプに参加して、野球選手としての中身を磨くことができました」
 
 いったい松坂は、どんな話をしてくれたのか。「ここからは言えないです」。質問をぶつけると笑顔でかわされた。ただひとつ、たしかなことがある。堂上はその言葉を胸に秘め、今日も野球と向き合い続けている。

(第3回へつづく)

<堂上隼人(どううえ・はやと)プロフィール>
 1982年3月12日、神奈川県出身。右投右打で背番号は27。強肩と強打がウリの大型捕手。横浜商大時代には阪神・鳥谷敬、ソフトバンク・馬原孝浩らと日米大学野球の日本代表にも選ばれ、ドラフト候補にも挙がっていた。日産自動車を経て06年5月より香川オリーブガイナーズに途中入団。打率.327、11本塁打、45打点の成績で首位打者と本塁打の2冠に輝き、攻守にわたって後期V、チャンピオンシップ制覇に貢献した。07年も打率.322、7本塁打、50打点をマーク。2年連続の後期MVPと、独立リーグ・グランドチャンピオンシップ初代MVPに輝いた。現在、ボストン・レッドソックスと入団交渉中。





(石田洋之)
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