やっとペナントレースが始まったと思いきや、もう週明けにはセ・パ交流戦がスタートします。今月は、ジャイアンツ期待の若手のこと、さらには記録員や広島カープのコーチについて語りましょう。それでは、球論にお付き合いください。

 

 秋広のポップフライの原因

 

 ジャイアンツの秋広優人に対し、OBやファンも期待している人は多いはず。しかし、一軍定着には至っていません。身長200センチということもあり、構えた時のトップの位置は高くなる。そこからインパクトに対し、最短でバットを振ると(バットの)軌道は上から下になる。これがポップフライが多くなるカット打ちになる原因に見えます。

 

 秋広にはもう少し、前方に大きくバットを振ることを意識してほしい。トップの位置からインパクトまではダウン、そこからレベルスイング(地面に対して平行にバットを振る)を意識すると、打球は飛んでいくし、打球方向に対して良いスピンがかかります。恵まれた体格を持っているだけに、活かし切れていないのが勿体ない。このままでは並のバッターに終始してしまいます。

 

 さて、選手以外のことについても。阪神の岡田監督は今月、試合前練習時、ベンチに記者を招き入れ、囲み取材を解禁したようです。5月8日、囲みでの話を紹介しましょう。前日7日、甲子園での対広島カープ戦でセカンド・中野拓夢が2失策しました。6日は降雨でした。シートを敷いた影響で7日はグラウンドが硬かったりと、難しい状況だったようです。

 

 名物記録員・河野さん

 

 ここで岡田監督はかつての名物記録員・河野祥一郎さんを引き合いに出し、プロフェッショナルとして仕事に向き合う大切さを説いたそうです。彼は試合前、グラウンドに下りて土の状態をよくチェックしていました。自分の目で見た情報をもとにエラーなのか、イレギュラーによるヒットなのか――を判断していたそうです。有名な記録員だったので、私も存じ上げています。バッター、ピッチャー、守る野手陣にとって1つの記録で人生が変わることがあります。エラーならピッチャーの自責点にはならない。野手からするとゴールデングラブから1つ遠のくかもしれない。バッターなら、これがヒットになれば最多安打や首位打者に近付く……と言った具合に。

 

 私は内野守備で一軍に上がった選手です。エラーなのかイレギュラーによるヒットなのかで気の持ちようや査定に大きくかかわってきます。自らの目でグラウンドを確認し、記録を付ける河野さんのようなプロフェッショナルは尊敬に値します。

 

 メジャーリーグは、コロコロと記録が訂正されます。こんなアバウトでいいのかなぁ。ぜひここは反面教師で、日本の記録員の方々には、責任と誇りをもって仕事をしてほしいものです。

 

 自前でコーチを育てるカープ

 

(写真提供、鈴木康友氏:右から三好匠コーチ、筆者、曽根海成選手)

 今季から、私が注目している人物が広島カープにいます。三好匠一軍内野守備・走塁コーチです。広島の攻撃時にはファーストコーチャーを務めています。彼は九州国際大学付属高校から2012年、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団しました。この年、私もイーグルスのコーチに就任したので彼を指導した経験があります。真面目な選手でした。19年、カープへ移籍し、30歳で現役を引退。今年からカープでコーチ業に就いています。カープは自前で若いコーチを育てる方針なのでしょう。三好コーチの今後が楽しみです。

 

 若いコーチだと、年上の選手相手にもノックを打つ機会がある。遠慮せずにできるかと見ものですね(笑)。若いコーチには若いコーチにしかできないことがあります。それは元気よく明るく振る舞い、雰囲気を変えること。意外と重要な役割だと思います。私も33歳と若くしてコーチに転身したのでよくわかります。

 

 チームの雰囲気が暗いときは、「挨拶でどんな気のきいたことを喋ろうかな」と考えたものです。野球において、いや野球のみならず社会においてコミュニケーションは思うよりも大切です(※康友さんがコミュニケーションを大切にしている所以は第44回を参照)。監督と選手をつなぐ貴重な潤滑油的存在に、三好にもなってほしい。彼は今、背番号90を背負っています。かつて私が新米コーチだったときと同じ番号。一層可愛く思えてなりません。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


◎バックナンバーはこちらから