中学でも全国の壁を破ることができなかった長山拓未は、さらなるレベルアップを求めて高知高校へと進学した。もちろん、県外の高校から誘いがなかったわけではなかった。だが、長山は高知県きっての期待の星だ。みすみす手放すはずはない。
「県外の高校からも、長山を欲しいという声はありましたよ。でも、高知にとっては宝でしたからね。私としては県内の高校で、開花してほしいという思いがありました。とはいえ、私が断固として拒んだわけではないんですよ。県外の高校の監督も私たちが、どれだけ長山を大事に思っていたか、もうわかっていましたから」。中学時代の恩師・小笠原健一先生はそう言って笑った。
 長山本人もまた、そうした地元の期待をひしひしと感じていたのだろう。県外留学ということは微塵にも考えなかった。
 長山は高知高でも入学と同時に即レギュラーの座をつかんだ。中学生と高校生では体格もスピードも違う。しかも同高は長山が入学する前年まで県高校春季大会6連覇、県高校総体5連覇と県では随一の強豪校で、毎年のように県代表として全国大会の舞台を踏んでいた。ところが長山は、すぐに高校のレベルにも順応していった。
「中高一貫校だったので中学と高校は同じ体育館で隣り合わせで練習していたんです。だから、見慣れていたせいもあったんでしょうね。高校に入っても、特に不安に思ったりはしなかったですよ」と長山。その表情と言葉からは身長だけでなく、ハートの大きさも感じさせた。

 再び本職のセンターに戻った長山は、1年生ながら県春季大会7連覇、県総体6連覇達成の立役者の一人となった。チームも194センチの長山を筆頭に193センチ、ライトの武市康など高さでは全国でもトップレベルを誇り、県では圧倒的な力を見せつけた。

 ところが、四国、全国では苦戦を強いられた。四国選手権では初戦で愛媛の強豪、東温高校にストレート負け。続いて行なわれた全国高校総合体育大会(インターハイ)でも予選グループで足利工業大付属(栃木)、敗者復活戦で金沢商業(石川)にストレート負けを喫した。1、2年主体のチームだっただけに、プレーの粗さや経験不足が浮き彫りとなった。

 だが、3年生が引退すると、ほとんど主力がそのまま残った高知高はさらに強さを発揮していく。もともとあった高さと潜在能力に加え、他のチームの1、2年よりも早く実戦を積んだことで、経験豊富な大型チームに生まれ変わっていったのだ。また、関東や九州など、全国の強豪校と対外試合を行ない、力を磨いていくとともに自信をつけていったことも大きかった。

 年が明け、高校バレーボール界にとって最高峰の大会である“春高バレー”の県予選が始まった。先発メンバーの平均身長は187センチと県史上最長身の高さをいかしたプレーで高知高は準決勝、決勝ともにストレート勝ちを収めた。練習の7割もの時間を割いて特訓したブロックが効果的に決まり、ライバル高知商との決勝戦でも8連続得点を含む12得点をブロックで稼いだ。
 評判通りの実力を見せて2年ぶり8度目の優勝に輝いた高知高は、初勝利を目指して全国の舞台に挑んだ。

 2005年3月20日、北嵯峨高校(京都)と対戦した高知高は接戦となった第1セットを25−23でもぎ取ると、第2セットも得意のブロックでポイントを重ね、25−19で連取した。
“春高初勝利!”
 同高にとって悲願だった勝利を手にし、長山らは歓喜に沸いた。県勢としても8年ぶりの初戦突破だった。
 しかし、喜びも束の間だった。勝てると信じていた2回戦の関東第一高校(東京)戦、1、2セットともに23−25と僅差で落とし、3回戦進出を果たすことはできなかった。長山らにとって、歴史的快挙となった1勝よりも、この1敗の悔しさの方がはるかに大きかった。

 その年も県春季大会、県総体で優勝を果たした高知高は四国総体でもベスト4に進出する躍進を見せた。だが、インターハイでは予選グループ、敗者復活戦ともに敗れ、またも全国の壁を打ち砕くことはできなかった。

 3年生が引退し、最高学年となった長山は、アタッカーの役割も与えられ、エースとしてチームを牽引した。
「1、2年の時はセンター対角のセンターでした。でも、3年からはセッター対角に置かれたので、前衛の時にはセンターのようにクイック(速攻)を打ち、後衛でもそのまま入ってバックアタックを打っていたんです」
 彼の非凡な能力が開花し、チームはさらに強さを増していった。

 全国でのリベンジに燃える長山は、春高とインターハイにかけていた。普段、めったに感情を表に出さない彼は、そんな自分の思いを決して口にすることはなかった。だが、父親にはわかっていた。
「1、2年の時は監督に叱られても素直に『はい』と返事をしていたんです。大崎基喜先生は、そりゃもう厳しい監督でしたからね。ところが、最後の春高の県予選くらいからでしょうか、拓未が大崎先生に意見を言うようになったんです。『あの大崎先生に、よう言えるなぁ』と自分の息子ながらビックリしましたよ。見ているこちらの方がハラハラしていましたからね(笑)。でも、それほど全国で勝ちたいという思いが強かったんでしょうね」

 果たして、全国の壁を打ち砕くことができるのか――。2006年、1月の春高県予選を皮切りに、長山にとって最後の挑戦が幕を開けた。

(第4回につづく)

長山拓未(ながやま・たくみ) プロフィール>
1988年5月17日生まれ。高知県出身。中央大学法学部2年。格闘技一家に生まれるも、2歳年上の姉の影響で小学生からバレーを始める。高知中、高知高では入学直後からレギュラー入りを果たす。高校3年間でインターハイ3度、春高3度出場し、2年時には全国初勝利を挙げる。現在は中央大男子バレーボール部に所属し、レギュラーとして活躍している。得意のプレーはクイック。ポジションはセンターだが、中学、高校時代にはサイドアタッカーの経験もあることから、バックアタックも打つ。196センチ、85キロ。最高到達点335センチ。






(斎藤寿子)
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